うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

山を走る

日常的にランニングするようになって12年目の2019年。

この夏、今さらながらトレイルを走る楽しさを覚えた。

なんで今まで「やってみよう」と思わなかったのというと、坂が苦手だと思い込んでいたから。六甲山麓に暮らしていながら、登山にもハマりきれなかったのは、坂が苦手というより、「みんなで登る」「ゆっくり登る」が苦手だったみたい。人とペースを合わせるのって難しいし、ゆっくり登ると登山は一日仕事になってしまう。でも、うちから一番近い摩耶山(標高約700m)なら、自宅から走っていっても登って下りて2、3時間。休憩もしないでぴゅーっと登るのがめちゃくちゃ楽しい。

不整地を走るので足元ばっかり見ているけれど、360度全方向から鳥の声や葉ずれの音がして、川を渡れば水音がサラウンドになり、高度を上げれば温度が変わり、土も風も香って退屈するヒマがない。走ることで環境遷移のスピードが上がり、それがとても心地いいのだ。

何より楽しいのが下り。傾斜が自然に体を前に進めてくれるので、わたしは上げた脚を地面のどこに接地させるのが最適かを一瞬で判断し、膝のクッションを効かせてできるだけ衝撃を和らげ、上半身や腹筋で体を支えてバランスを取らなければならない。これを一歩ずつ繰り返す。自分の体を前に運ぶ行為は、全身機能をコーディネートした高度な身体活動なのだ、という実感はロードを走っている時にはないものだ。

その分、身体負荷はかかるはずだが、アスファルトを走るより疲労感は断然少ない。まあ、急な階段や岩場は走れないから結局歩いてる時間の方が長く、ただ楽しいだけやから、全然マラソンの練習にはなってないというのも分かってる。でも楽しい。楽しいからつい山に脚が向かってしまう。同じ季節に同じ道を走っても、晴れた日と雨の日は違う。草木の輝きも、徘徊する生物も違う。

六甲山系には情報の多い定番ハイキングルートが多数あり、トレイル初心者の私には、まだまだ近所に走るべき道が残されている。とても幸せだ。

家から摩耶山が見える。その姿を見るたびに、ああ、あの山道は今どんな明るさで、どんな空気が流れて、どんな音が響いているのかと思いを馳せる。街を歩いているときも、しばしば山の幻想に包まれる。ここも、あそこも、元々は山だったのだ。死角の多い、変化に富んだ、水と緑と生き物の気配がしたたる、そんな山だったのだ。

 

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覚醒せよ! ユーミン『DA・DI・DA』の80年代エネルギー

 

こないだからスイッチが入って、ユーミンの1985年のアルバム『DA・DI・DA』を鬼リピートしている。仕事しながら聴き、買い物しながら聴き、ごはん食べながら聴き、走りながら聴き、電車乗りながら聴き、筋トレしながら聴き、歩きながら聴いた。

こんだけ聴いたら分かることがある。とにかく『DA・DI・DA』に出てくる女は超身勝手で、男を踏みつけまくっている。それに、若い。あと、景気がいい。懐かしい……。

 

ユーミンはとにかく驚くばかりの高クオリティの楽曲を50年近くも!!!!生み出し続けてるわけで、本当にすごいとしかいいようがないが、わたしはずっと聴き続けているわけじゃなくて、「懐かしい」と思えるのは80年代のいくつかのアルバムだけだ。具体的にいうと、1981年の『昨晩お会いしましょう』、1984年の『NO SIDE』、1985年の『DA・DI・DA』、 1988年の『Delight Slight Light KISS』。

 

当時一番よく聴いてたのは『Delight Slight〜』だけど、聞き返すと『DA・DI・DA』がめっちゃ新鮮だ。この中でダントツに景気がいいしな。当時は子どもちゃんだったのでイマイチわかってなかったんだけど、とにかく今聴くと、景気のいい時代の若い女の生命力がビシビシと伝わってきて面白いのだ。牽強付会すれば、すべての曲が一人の女を歌っているようにも思えるストーリー性にも唸る。暇な人だけ全曲レビューを読んでくれ!

 

 

1/もう愛は始まらない

いきなり男を見限る女のうたである。いや、実際のところ、裏切ったのは男の方かもしれんけど、別れの主導権を握るのはあたし! という強固な意志。「さわらないで!」とか「見つめないで!」とか、なんしか「Don't」の気持ちがすげー強くて痛快。終わったものは終わったのだから、修復は不可能なのである。DA・DI・DAとは、男を捨て、前にずんずん進む女の脚が刻むリズムである。力強いオープニングチューン。

 

2/2人のストリート

景気のいいこのアルバムの中でもピカイチに景気がいい曲。情景喚起力が高すぎる歌詞で描写される風景はまるでトレンディドラマである。クリスマスシーズンの大都会、渋滞に巻き込まれた男の車から勝手に降りて、ドアをヒールで蹴飛ばす女。その女を追いかける男。クラクションに包まれて抱き合うふたり……。って「さすがにそれは迷惑では……」と思うでしょうが、こんな感じのトレンディドラマは当時、まじで毎日のようにテレビで放映されていたのだ。三上博史浅野ゆう子で脳内ビジュアルを作り上げたらリアリティありすぎて、ほんまにそんなドラマあったっけかと錯覚しそうになった。平成の男女はもうこんな迷惑行為しないよね。残念やわ。

 

3/BABYLON

打って変わって幻想的な一曲。だけど歌詞にびっくりよ奥さん。田舎から出てき大学デビューして2年。オールで夜遊びする女の自己陶酔ソングなのだ。しかも自己陶酔のスケールがでかい。すっかり都会の水に洗われて美しくなったあたし。見下ろす朝の東京(NYかもしれませんが)は、古代都市バビロンのように美しい……。そしてわたしはこの街のヒロイン……。て、おいおい正気か。でも、そんな彼女も、華やかな時代は、人生のうちのほんの一瞬であることを実は知っているのである。「なんで涙が出るの?」とかいうてますが、そういうことです。短大ならもうすぐ卒業、4大でもあと2年。花の命は短い。これからどうする? という話ですよ。

 

4/SUGAR TOWNはさよならの町

むっちゃ可愛くて明るいメロディーだけど、これは割と悲しい別れの歌ですね。初雪が町を白く染めた朝、男は出てゆく。女はひとり雪国で冬を迎える。曲調が明るいだけに切ない。これは先のBABYLONの自己陶酔女の過去かもしれない。かつて一方的に捨てられる存在だった、野暮で純だったかつての女の姿かもしれない。

 

5/メトロポリスの片隅で

都会で働くOLソング。BABYLONの女が就職したんかな。パワーアップしているようで何よりです。「さよ〜なら、あの人〜♪」と、冒頭でいきなり彼氏を「あの人」呼ばわり。振り切って通勤電車に乗り込んだらもう彼のことは忘れて、次の恋を探す。だって「わたしは夢見るシングルガール」だから。なんて逞しいのでしょうか。夏の恋は冬に精算するぐらいがちょうどいい。未来のない関係に時間を費やしても仕方ないしね。「悲しくなんかなんわ」と言い放つ女に漂うエルサ感が最高。

 

6/月夜のロケット花火

これはサークラ女の曲である。大学のサークル仲間で、季節外れの花火を打ち上げるあたしたち。あたしに気があるAくんは、卒業が悲しいのかしんみりしちゃってるけど、気づかないふりしちゃうあたし。大学の仲間とくっつく気なんてないもんね。そして「どこで会っても、今まで通りバカを言ってね」と、無邪気を装って男にクギを刺す。なんかこの女、30年後ぐらいに「忙しくしてる? ず〜っと会いたいと思ってたんだ」とかFacebookからメッセージ送りそうな雰囲気あるよね。Aくん、ちゃんと拒否るんだよ! 

 

7/シンデレラ・エクスプレス

健気な遠距離恋愛ソングだが、ここに女の打算が見てしまうのは私の性格が悪いからだろうか。いろんな男とつきあってきたけど、今の彼氏は大企業に就職を果たした一番の有望株である。いきなり地方に配属されちゃうのはこの会社の典型的なエリートコースなんだって! 今は寂しいけど、絶対、東京に帰ってくるし、そしたら結婚するし、それまでは遠距離恋愛がんばっちゃうもんね、というね。シンデレラは遠距離恋愛の物語ではなく上昇婚の物語だからね。

 

8/青春のリグレット

夢を追う男を捨てた女の悔恨ソング。しかし、その言い分がすがすがしいまでに自己中心的で素晴らしい。魅力的でセクシーで、掛け値なしに好きだと思える男を、将来性がないという理由で見限っただけの話なのに「あなたが本気で見た夢をはぐらかしたのが苦しいの」と後悔してみせる。ほんまに後悔してるなら今からでも追いかければいいのに「夏のバカンスを胸に秘め、普通に結婚していくの」ってなんやねんと。それ「普通に結婚」じゃなくて「打算で結婚」なんやけど。シンデレラ・エクスプレスの男やろ。わかるで……。さらに「わたしを許さないで。憎んでも覚えてて。」と、自分だけは永遠に彼の中で「特別な女」として存在し続けることを相手に要求。えぐい。でも、言い分の勝手さには女自身も気づいているのだ、本当は。その上で「あたしって悪い女」と陶酔する。そんな思い込みが若い頃には必要なこともあるのだよ、としみじみ。私などはさすがにそんな感情はなくなってしまった。ほんまにリグレットやわ。若いってええねえ。

 

9/たとえあなたが去って行っても

ぐるぐるとリグレットする前曲がプツッと途切れた瞬間、高らかに鳴り響く覚醒のラッパ!

今までの伏線を全部ひっくり返すのがラストのこの曲である。泣ける。

4月。女は打算をやめて、全く新しい道に踏み出すのである。

まず、捨てられなかった最後の手紙を破り捨てる。これはリグレットの男の手紙ちゃうか、と私はにらんでいる。そして、シンデレラ・エキスプレスの男も去って行く。男の夢につきあうのも、打算で男に生活を保証してもらうのももうやめた。自分は自分のしたいことをすることにした、という高らかな宣言である。「ずっと探す心のgolden treasure」「ずっと遠くひとり旅をする」。ついに気づいたか! という感動。なんて素晴らしいラストなの。これがまた冒頭の『もう愛は始まらない』にきれいにつながるという。

 

このアルバムの裏テーマは、「時間の不可逆性」ではないかという気がする。壊れたものは元に戻らない。冬には、夏はもう思い出になっている。時代はめぐるし、同じ日は二度とこない。だから常に、前に進むことが大事なのだ。

 

 

DA・DI・DA(ダ・ディ・ダ)/松任谷由実

DA・DI・DA(ダ・ディ・ダ)/松任谷由実

 

 

DA・DI・DA (ダ・ディ・ダ)

DA・DI・DA (ダ・ディ・ダ)

 

 

虚構の中の現実『イーハトーボの劇列車』

井上ひさしによる宮沢賢治の評伝戯曲『イーハトーボの劇列車』を、長塚圭史が演出した舞台を観た。兵庫芸術文化センター。

 

劇場に着いてから館内の案内表示で「上演時間3時間半(!)」であることを知って愕然。な、長っ! 前半2時間、休憩はさんで後半1時間半ですよ。まじか。びびってとりあえずホワイエでシャンパンを頼む。目の前で新しいボトル開けてくれてうれしかった。るんるん

 

冒頭から、駅や列車を表現する効果音をステージ上の役者の生声でやったりしてるし、詩の断片が飛び交ったり、セリフなしで動作だけで表現されるような抽象的なシーンが続いたので「やばい。観念的なやつやん。寝てまう〜」と身構えたものの、だんだん抽象度が低くなり、途中は「具体的な言葉」が飛び交う論争劇のような一幕もあって盛り上がる。

 

結果、3時間半という長さを感じさせない濃密な舞台であった。素晴らしい。

劇中で十数年の時間がはっきりと流れるにも関わらず、ストーリーらしいストーリーはない。評伝といっても、宮沢賢治のいくつかの「上京」を軸に、間欠的に人生の一面を紹介していく、という手法がとられているのだが、これが秀逸。舞台上で描かれるのは、基本的に花巻−上野間の列車の中か、東京滞在中の賢治であり、普通に「宮沢賢治」といわれてイメージする「下ノ畑ニ居リマス」な土臭い賢治ではないのだ。

 

あるときは同行の母を気遣う気弱な息子であり、ある時は田舎を捨てる家出青年であり、ある時は田舎で信頼されている「先生」であり、ある時はきれいな服で文化的な浪費にいそしむ高等遊民である賢治。「ユートピア」や「農民」という概念は、賢治のこうした経済的文化的に恵まれた立場から生まれたものであり、百姓を取り巻く現実とは大きく乖離していることを、淡々とした表現から苛烈に浮かび上がらせる。

 

劇中のハイライトともいえる論争シーンがふたつあり、劇中、賢治と対峙する2人の論敵があらわれる。一人は父・政次郎、もう一人は資本主義者をカリカチュアライズした架空の存在・三菱だ。両者とも、最初は単純に賢治と対立する存在として登場するが、その位相は徐々にずれ、ねじれていく。

 

実業で財をなし、地域コミュニティづくりにも尽力した父は、絶対的な賢治のパトロンでもあり続けた。賢治のユートピアは、見方によれば父の掌の中に築こうとしたファンタジーにすぎない。賢治とはより圧倒的な対立があるかのように見えた三菱の中にも深い愛があり、違う地平から出発したはずの思想はやがて大きく重なっていく。強さと弱さ、善と悪、理想と現実……。相反するものというのは、結局のところ、相互依存しながらねじれた関係で共存せざるを得ないのだ。

 

劇中の賢治は弱い。体が弱い。立場も弱い。理想を語る美しい言葉は、実存的な強い言葉にかき消され、ときに説得力を失ってしまう。しかし、立場がねじれることによって生じた「現実のすきま」からしか生まれ得ない美しい思想や言葉というものがあるのだ。立場と行動が一致した百姓の貧しい暮らしからは、「村に広場があればなあ」という賢治の夢想は出てこないのだ。

 

それをしみじみと感じさせてくれたのは、父を演じた山西惇さん、三菱を演じた土屋祐壱さんの素晴らしい演技ゆえで、たいへんぐっときた。

 

しかし、やはりこの舞台の肝は主演の松田龍平だ。

 

芝居巧者に囲まれた賢治役の松田龍平は一貫して抑揚がなく、いかにも「でくのぼう」であった。わたしは舞台で松田龍平を観るのが初めてで(というか画面でもあまり観たことがない)これが彼自身のそもそもの持ち味に合致しているのかどうなのかよくわからないのだけど、彼のでくのぼうぶりは明らかに舞台上で破調をきたすほどにでくのぼうで、空間でぽっかり浮き続けている。「芝居」という虚構性の強い環境、さらには「宮沢賢治」という虚構性の強い題材に、ものすごく現代的かつ実存的な存在として浮いているのだ。

 

一般的には、宮沢賢治が現実の中の虚構として浮いていたようなイメージが強いが、その宮沢賢治を演じた松田龍平は虚構の中の現実として浮いているのである。浮き続けているのである。彼の周りにだけ強く「現代がある」といってもいい。

 

これぞ演劇にできることだなあ。優れた脚本を、いま、演じ直すということの意味だなあと。そう思いませんか。

何度も舞台を思い返している。

 

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伏線のない世界を描く 『15時17分、パリ行き[The 15:17 to Paris]』

監督:クリント・イーストウッド
脚本:ドロシー・ブライスカル
出演:スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー
2018年アメリカ、94分

 

wwws.warnerbros.co.jp

隅から隅まで好きな、2018年のなおみんのベスト映画はこれ!

実際に列車の中で起きたテロ事件を題材に、実際の事件の関係者を多数俳優として起用した異色作である。ただし私はその程度の事前情報も知らずに見た。それがまたよかった。

主役は、ちょっと情けない風貌の体のでかい色白の青年、スペンサー。これが映画では見たことのないレベルの絶妙な情けなさで、さすが素人を起用しただけのことはある。彼はリアルな米兵で、彼を含む友人3人が、パリ行きの列車の中で重装備したテロリストが企んだ無差別テロを阻止してヒーローになるのである。

しかし映画は意外なことに当日の出来事ではなく、3人の幼少時代から「その日」に至るまでの軌跡に尺をさき、彼らが、学校的な優等生的価値観から常にはみ出しがちな人物であったことをさまざまなエピソードで物語っていく。学校ではいつも怒られ、人徳もなく、親に心配をかけながらも、大きく道を踏み外すことなく3人はなんとか大人になる。

学校を卒業した後もファストフード店でバイト生活を送っていたスペンサーは、あるとき一念発起し、1年間にわたる猛トレーニングを経て軍の試験に受かる。しかし、視覚のちょっとした異常を理由に希望の部署への配属がかなわない。私はこの猛トレーニングのくだりで最初に泣いた。スペンサーは少し自暴自棄になるが、やがて持ち前の鈍感さを発揮して、与えられた任務に向き合い、柔術や救命術を学び、ゆっくりと、しかし着実に任務に必要なスキルを身につけていく。彼はいろんなことがちょっとずつ「遅い」し「鈍い」。が、だからこそ楽な近道を選ばずに愚直に目の前のハードルをクリアしていく能力を有した真面目な好青年なのである。

そしてあるとき、スペンサーの発案で3人は久しぶりに集まってヨーロッパ旅行に出かけることにする。この旅行中に例のテロに遭遇するわけだが、事件が発生するまでの旅行の描写は「だらだら」と形容するのが最も適切といえる悠長さで延々と続く。人によってはこのくだりが意味不明で退屈で耐えられないだろうが、これがもう私は本当に最高だった。

3人の中で一番イケメンで抜け目のない性格のアンソニー・サドラーは旅行中、常に自撮り棒片手にセルフィーを撮っている。スペンサーは観光名所に行くだけで楽しそう。途中、1人旅のアメリカ人女性に声をかけて一緒に食事をするも、特に性的なエピソードに発展するわけでもない。途中、アレクと合流した後は、ビールを飲み、クラブで夜遊びし、二日酔いに苦しむ。ローマ、ヴェニス、ベルリン、アムステルダム……。久しぶりに再開する幼なじみの親友3人組、とはいえ、現在はそれぞれの生活環境も異なり、たびたび会話が途切れながらも、特に険悪になるでもなく旅は続く。

このパートのポイントは、そのすべてがリアルで、同時に、なにひとつとして「未来の出来事の伏線になっていない」ことだ。今まで丁寧に描かれてきたような来歴を持つ若者たち3人が久しぶりに集まった旅行でいかにもありそうな旅のあれこれが、ただただ描かれるのみであって、テロリストを倒した勇敢さの理由は、どこにも描かれていない。だって、この旅は「テロが存在する以前の世界」なのだから。

演技もできない素人を起用したドキュメンタリーまがいの映画など、安っぽい「再現VTR」に過ぎないのではないか、という批判もあるそうだが、それは違う。一見、とても雑に「リアル」をちりばめたように見える映画の中に、実は純度の高い「フィクション」が実に巧妙に埋め込まれている。事件の前日、スペンサーはアムステルダムの街を眺めながら、誰にともなくこんなことをいうのだ。「まるで運命に導かれているように感じるんだ」と。ダラダラとした描写の中でピリリと引き締まったこのシーンはとても印象に残る。
これは、旅程や立ち寄った場所も忠実に再現したという旅の中に、監督がねじこんだフィクションだ。リアルをまぶしてフィクション性を巧妙にくるみ、伏線のない世界の中で、実はすべては伏線であることを鮮やかに示す。誰の人生においても「いまのすべては過去のすべて」なのだ。こんなこと、クリントイーストウッド監督以外の誰にできるのだろうか。

映画の最後に、実際のドキュメンタリー映像を埋め込んであるのもよくてねえ……。
フィクションとノンフィクションのこの素敵なねじれ!
事実を題材にした映画が、往々にしてモノマネに腐心していることをもっと反省してほしい。

 

 

15時17分、パリ行き(字幕版)

15時17分、パリ行き(字幕版)

 

 

2018年に観た映画の超個人的感想

■2018年マイベスト!『15時17分、パリ行き

2018年ベスト。隅から隅まで好き。実際に列車の中で起きたテロ事件を題材に、実際の事件の関係者を多数俳優として起用した異色作。詳しい感想は別途書く。

 

■2018年のベスト王!『バーフバリ 王の凱旋』

バーフバリ! バーフバリ! バーフバリ!
最高すぎる。まじでかっこええ。バーフ様最高。マヒシュマティよ永遠に。象をワイルドかつエレガントに馴致した神々しいお姿を見た瞬間からあなたの虜です!!!! 愛してる!!!!
関連作は以下を観た。全部最高。

 

▷▷▷『バーフバリ 伝説誕生(マサラ上映)』
ジャイホー! 王の凱旋に比べると息子は未熟すぎるけど、でも面白かった。戦争シーンも対戦シーンも最&高。マサラ上映初体験だったので、クラッカーを10個ぐらいしか持って行かなかったのだけど、あほやった。100個でも足りない!!!!! 神戸国際松竹では劇場初のマサラ上映ということだったが、スタッフも親切で泣けた。ほんとうにありがとうー。サホレ!バーフバリ!!!

▷▷▷『バーフバリ王の凱旋・完全版』
バーフバリに恋したその日からYouTubeで動画を見すぎて、どれが完全版だけの映像なのか全然分からなかったけど、とにかく最高だったことは間違いない。完全版だろうとそうでなかろうと、バーフバリの前にバーフバリなく、バーフバリの後にバーフバリなし。いつ見ても最高で泣けるし濡れる。辛いことがあってもわたし、バーフさまの髪が風になびく姿を思い浮かべるだけで生きていける!

 

■2018年のベスト変態『素敵なダイナマイトスキャンダル

いい。よい。GOOD! 柄本佑、最高か!
尾野真千子と原作者の末井昭が歌う奇妙な主題歌(菊地成孔作曲)が耳に残る。女、女、女に依存するマザコンカルチャー映画。柄本佑演じるヘンタイ編集者は、最初はおどおどした若者なのに、最後は心から笑わない苛烈極まりないヘンタイになっていく。その変節を、明示的ではなく描いているのがよい。そして、いつどこでみても前田敦子はよい。尾野真千子もよいが、犬を抱いてるあっちゃんにグッときた。もっと出して欲しかった。三浦透子もよい。よすぎた。

 

■2018年のベスト詩情『君の名前で僕を呼んで

映像といい音楽といいセリフといい、センスありすぎてむかつくぐらいいい。これでもかというほど男子同士イチャイチャ見せつけられてキュン死しそうになった。オリヴァーくんのショートパンツが短すぎるのが実にけしからん! とはいえ、男子同士の純愛の蚊帳の外に置かれ、決して崇高で唯一の存在になれず、代替品として消費されるのにあくまで健気なガールフレンドの存在には身につまされた。長いエンディングの余韻がいつまでも心に残る。

 

== 普通によかった映画 ==

 

『マンマ・ミーア ヒアウィゴー』

出てくる女がほぼ全員ビッチで、かつチャーミングという素敵な映画。ビッチ映画として「ELLE」に次ぐオールタイムベスト2の称号を与えたい。男子もみんなイケメンで目に優しい。ミュージカルにつき、観てると楽しくて体が自然に動く。見心地はインド映画の『恋する輪廻』のよう。この映画で唯一、ビッチではない娘がちゃんと幸せになれるかどうかが心配だが。

 

『クレイジー・リッチ』

2018年の夏にちょうど家族でシンガポール旅行したので、すごいタイムリーやった。中1の娘と一緒に観て、興奮して、笑った。最初から最後までテンポ抜群で抜群に面白い。アジア人100%のキャスティングのハリウッド映画という点も素晴らしい。が、お話としては結婚をゴールにしたウェディングムービーである以上、結婚以降のことに思いをめぐらせざるを得ずモヤモヤしてしまう。原作も読みたいが、読むのか、わたし?

 

オーシャンズ8』

これも中1の娘と一緒に観た。ベスト・オブ・成長期の娘とみる映画。ゴージャスな女たちが活躍して華麗なる犯罪をなしとげる爽快痛快ムービー。

 

孤狼の血

血湧き肉躍る、わしら孤狼じゃけん!
広島を舞台にしたオールドスタイルのヤクザ映画と思いきや、モダンにアップデートされたネオ無頼映画であった。ついつい原作も読んでしまった。原作を読ませてしまう映画はよい映画。原作は(映画とは違って)ちゃんと整合性のあるお話だったのでこれまた面白かった! 得した。

 

寝ても覚めても

生まれて初めて映画のエキストラに応募して、神戸の美術館で東出昌大とすれ違うシーンを撮ってもろたのに、まったく、0.1秒も使われなくて残念やった。わざわざ舞台挨拶付きのプレミアを観に難波まで行ったのにwww 全体として奇妙なタッチではあるけど、あの原作の映画化としてはかなりいいと思う。というのも私は原作がすごく好きなのだ。けど、あの原作(読めば分かる)を、まさかこんな風に映像化できるとは思わんかった。東北のくだりはいらんかったように思うけど。この映画は何しろ唐田えりか。ほんとうに唐田えりかの空虚な目はすごかった。それを見いだした監督の慧眼やな。

 

『焼肉ドラゴン』

最高によいシーンと最高に不快なシーンが共存している映画。家族の物語だが、三姉妹を演じる女優の配役が微妙(に悪い)。ええ女優つかってるのにな。しかし、お父さんを演じる韓国人俳優、キム・サンホは掛け値なしに素晴らしかった。全体としてはいいけど、ところどころ、どうしようもないダメさが散見されてバランスが悪いけれど、そこがいい、といえばそういえないこともない。全体としてはいいような気がする。

 

 

== いい映画なのに覚えてないやつ ==

 

ペンタゴン・ペーパーズ』
いい映画やったよ! でもまじで詳細を覚えてない……。ごめん。

 

『英国総督最後の家』

よいという話を聞いて見にいって、たしかに「いい映画だ!」と思った記憶があるのに、やっぱり全然覚えてない。自分の好みではなかったみたい。こういう良作が記憶に残らない自分が悲しい。

 

 

 ==  微妙〜〜な映画  ==

 

キングスマンゴールデンサークル』

あほくさいながらも面白い映画ではあったのだけど、ロンドンで地下組織として長く継承されてきた由緒あるスパイ機関、とやらが舞台になっていながら、劇中でそのレガシー(とされるもの)が容赦なくぶち壊されていくのが辛すぎて、そりゃあ、映画として意外性を狙って観客を裏切っていくという振る舞いは、サプライズとしてアリなのかもしれないけど、それではいかにも愛がなさすぎではないか、と思ったりした。

 

ボヘミアンラプソディ』

天才フレディ・マーキュリーの魅力が全然丁寧に表現されていない点でどうしても映画に没入できないまま、世間の熱狂に取り残された。でも、クイーンの音楽が鳴ると、そういうのももうどうでもよくなるという。そないにモノマネがうまくなくてもええから、天才の映画では天才性の根源みたいなものを見せてほしいんやけどな。

 

== 気〜悪かった映画  ==

 

シェイプ・オブ・ウォーター

キモい。嫌い。てか、最初見終わったときは「これは吉本新喜劇やなー」と思って笑ってただけやけど、世間にラブロマンスだとして受容されていると知ってがぜんキモくなった。ラブロマンスとしては説得力ゼロでしょ。ギレルモ・デル・トロは『パンズ・ラビリンス』も苦手なので個人的に全く相性が合わない。あたしは、あの魚人は「Born Sexy Yesterday」やと思う。見た目がグロかったらそんな陳腐な話でもええのかというガッカリ感。

 

カメラを止めるな!

映画オタクがちまちま身内で楽しんでキャッキャしている感じに疎外感を感じて居心地が悪かった。あらまあ、そっちはたのしそーでいいですねーと鼻ほじりながらいいたい感じ。わたしはそもそも三谷幸喜とか宮藤官九郎みたいなチマチマした内輪ウケ狙いの「ウェルメイド」が嫌いで、これもその系譜やと思う。でも、ヒットしたことはめでたいと思います。役者はすごいよくて、監督、その妻、その娘にはたいへん好感を持ちました。

 

『斬、』
平成も終わろうというのに、なんでフロイト先生のファルス的精神分析世界をみせられなあかんのか。というぐらい男根メタファーに満ちあふれた男根映画。そして、何も始まらないまま終わる。とりえあず女に叫ばせるのも最低か。きもー。きもー。短いのが美点。ファルスではなく上映時間が。

 

 

書くほどもない戦争と父の記憶の断片

もう両親に会うのも正月や盆だけだし、帰省したときには、できるだけ昔の話を聞こうと思うのだが、だらだら食べたり飲んだりしてたら聞き忘れてしまう。
母とのなれそめ(笑)などは、古いアルバムをめくりながらこれまでもよく聞いたのだが、今回は戦争の記憶についてちょっと聞いてみた。

 

父は戦中、といっても昭和17(1942)年2月の生まれなので、終戦時点でわずか3歳半。奈良の山奥で暮らしていたこともあり、空襲などに遭うこともなく、戦争についての直接的な記憶はほぼないという。


唯一覚えているのは、おそらく昭和19年ごろに、広島のどこかのなにがし隊に入営していた父(わたしの祖父)に面会するために、母(わたしの祖母)におぶわれて西吉野村から広島に向かった雨の夜のことだそうだ。
父の生家から最寄りの下市口駅までは山道を10km強。始発に乗るために丑三つ時に家を出て、提灯を提げた親戚の男に先導を頼み、雨にぬかるむ真っ暗な山道を往ったのだという。幼児をおぶった女の足でいったいどれぐらい時間がかかったのか、その不安と、前方で揺れる光と、雨の冷たさだけを記憶していると。
その後、無事に広島に着いた後にどこかで船に乗ったことをかろうじて覚えているけれど、肝心の面会の記憶はなく、次の記憶は、終戦後に兵役を終えた祖父がお土産の金平糖をぶらさげて帰ってきたことだ。終戦の翌年には父の弟が生まれている。
この祖父については、わたしが小さいころに亡くなっているので、わたしは直接覚えていない。

もうひとつ、父の戦争にまつわる記憶は、終戦後にアメリカの飛行機が村の上空にやってきて、モールのようなものをばらまいたこと。木々の先っぽにキラキラ光るモールがひっかかって、クリスマスツリーのようになったそうだ。ビラなり物資なりも一緒に落とされたのかもしれないが、子どもだった父にその記憶はなく、その詳細はよくわからない。

 

書くほどもない、といえばその通りなんだけど、なにかわたしの心を揺さぶる話ではある。

というのも、このとき父をおぶった父の母(わたしの祖母)は89歳まで生きたのでわたしもよくよく知っているが、父との折り合いが非常に悪かった。孫のわたしから見ても祖母は意地悪で怠慢なひとで、よくあの祖母からこの父が生まれたなあと感心するぐらいなのだが(父はとてもまめで勤勉で親切なひとだ)、父は最後までこの祖母の面倒をよくみて送った。
直接的な愚痴を父の口から聞いたことはないが、言葉の端々に色々と複雑な思いがあったことは見て取れる。

あの祖母が、この父をおぶって、真夜中の山道を、ほかの子どもがまだ産まれていない頃、戦中に母ひとり子ひとりで、夫に会うために走ったのだなあと。不安に感じた父が、唯一のよすがとして祖母の背中にしがみついていたのだなあと。それが70年以上も経った今、記憶に残っているのだなあと。

 

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RMKのメイクレッスン

美人の友達から「RMKのメイクレッスンがめっちゃいいから行った方がいい」と強く勧められたので、こないだ体験した。これがものすご〜くよかったので、記録もかねてレポしておきたいと思う。

 

RMKでは、ブランドの専属メイクアップアーティストが全国の店舗を巡回しており、予約制で1時間じっくりフルメイクしながらいろんなアイテムを使ってメイクテクニックを丁寧に教えてくれるサービスを実施しているのである。私はここで一度も何も買ったことなかったけど、神戸大丸のカウンターに予約してみた。

 

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予約の電話をかけると「当日はベースからのフルメイクになるので、できるだけ素顔でお越しください」と言われる。すっぴん!

まあわたし、家で1日中チクチク原稿書くことも多いので、しょっちゅう1日中すっぴんで過ごすし、そのまま近所のスーパーやコンビニに行くことに対しては全然抵抗ないんだけど、その日は午後から予定があり、それなりにおしゃれして出かけるつもりだったので、正直、すっぴんで行くのいややなーと思った。しかし、これがなかなかよかったのである。結果的に。

 

当日の朝、いつもより丁寧に洗顔して、髪を整えて好きな服を着て鏡を見たら別に何の違和感もなくて、ちょっと高校生みたいな気分になった。夫に「どう?」と聞いたら「いつもよりいい」と言われたのはどうかと思うけど、顔に何もつけずに7cmヒールを履き、よそゆきの服を着る、というのがこんなに爽快とは知らなかった。

 

実際、実は化粧ってどうしても「顔に汚れを塗りつけている」面があり、化粧で見た目が不潔になってしまうことは少なくない。まぶたに黒いものを塗り、まつげにダマをつけ、眉毛に粉をまぶす。拡大鏡で見れば粉は肌に密着などせずに浮いているし、その粉は時に服まで汚す。

 

肌の調子の悪い時などは、余計に化粧で顔が汚れるような気がする。朝の顔はまだましとして、昼下がりなどにトイレで鏡を見て自分の汚さにぎょっとしてしまうことがある。それなのに「化粧は礼儀」が一般常識化しているのも変な話だが、それでも「すっぴんよりましか……」とメイクをし続ける。それによってきれいになっているかどうかは微妙なものだが、武装としてはまあまあ役に立つからね。

そんなこといいながらも、私はメイクが割と好きな方なのだけど、それでもなかなかメイクで本当にきれいになるのは難しい。世間でもメイクでかえって美しさを減じている人をよく見かけるもんね。

 

メイクレッスンの日にすっぴんの爽快さを知るとは、逆説的でなかなかよい。めっちゃ気分よく、いつもより姿勢よく大股歩きぐらいの勢いで大丸に着いた。

 

カウンターでは「素顔ですか?」と聞かれ「そうです」と答えると「素顔だとマスクしてこられるお客様が多いんですけど、そのままですねー」と言われて、なるほど、化粧の代わりにマスクをするという発想があるのかと驚いた。ご近所でいつもマスクしている人がいるので体が弱いのかと思っていたけど、あれはひょっとして素顔隠しなのかな。もったいない。気持ちいいのに……。

 

カウンターに座ると、めっちゃ美肌でつやつやピカピカの若い男性美容部員が、まず丁寧にスキンケアをしてくれて「肌が柔らかい」と褒められる。確かに私は肌の質感はイマイチだけど柔らかいのは柔らかいかもしれぬ。

 

そしてメイクアップアーティストさんにバトンタッチ。

目鼻立ちのくっきりした男性で、グイグイしたキャラじゃなく、あくまで控えめで穏やかなのが好ましい。

で、感動したのがこの方のハンドタッチです。もう、めちゃくちゃ気持ちいいのですよ。人の肌を触るお仕事をしていると、人の肌を触るのに適した手に進化するのかな? それとも生まれ持った資質なのか。おそらく両方なのだろうけど、見た目より指先の面積がすごく広く感じて、吸い付くようなのにベタベタしておらず、すんごい気持ちいい。

脳の機能を模式化した「ホムンクルス」ってあるじゃないですか。このとき、私の頭にはあれが思い浮かんだ。手を使う仕事をしてるひとは手指を司る脳の部分がすごく発達しているというけれど、この人も絶対にめちゃくちゃ発達しているはずだ。とにかく初めて体感するレベルの繊細な指先のジェントルなタッチ。もうこれだけで来た値打ちあったと思いましたね。

 

RMKではメイクの素肌感を大事にしている、とのことで、均一、均質にファンデを塗ることは基本的にしないそう。気になるところは隠すけど、あとはできるだけ持ち前の肌を個性を生かす。

私はそばかすと小さいシミが結構あって、色がまあまあ黒いので、割とカバー力のあるファンデを使いがちなのだけど「肌が柔らかくて水分も十分だからファンデは少なめ、ポイント使いでいいですよ。その方がフレッシュな感じになります」と言われて、水みたいにゆるいベースと水みたいなリキッドファンデをほーんの少し、ブラシで塗ってくれた。するとあら不思議、そばかすなどは隠れないものの、不思議な若々しさと透明感が出るではないですか。

 

そして一番感動したのが次。取り出したるは、3色のコンシーラーとブラシ2種がセットされたコンシーラーパレット。この中で一番色の濃いやつを小さいブラシに取り、小さいけど一番濃いシミに「ちょん!」と乗せたら一瞬でシミが消え失せたではないか。

「シミは、肌よりも濃いコンシーラーでちょっと押さえるのがコツです。塗りすぎたら余計に目立つので」とのこと。ほえー、知らんかった。で、ベースの仕上がりはすっぴんに見えるほどの素肌っぽさなのに、素顔より全然きれい。

でも、これで終わらない。

私は目の下がちょっとたるんでて、特に左目の下のそれが強くて疲れた感じに見えやすいのだけど、彼は鏡の中の私をじっと見た後「ここがちょっと気になりますね」といったかと思うと、コンシーラーの一番白いやつをブラシにとり、その目の下の、たるみからちょっと離れた場所をサッとなでた。するといつも気になる目元の影がパッと明るくなったではないか!!

他にもあれこれコツを教えてもらったのだけど、キャパオーバーして覚えられんかった。とにかく自分比で3歳ぐらい若返ってうきうき。

 

そのあとは眉やアイメイク。これがまた素晴らしかったのよ。

「まつげはグイッと上げちゃっていいですか」といわれ「もちろん」とうなずくと、ビューラーでほんの軽〜くはさんでもらって目を開けたらもうびっくりするぐらい目がパッチリしてるの。アイメイクなしのビューラーのみですよ。私はもともと弱小まつげで、かつてエクステしたときも、一番本数の少ないコースを選んだのに「つけきれずに余りましたので返金します」と言われるぐらい本数も少ないし、短い。なのに、エクステしたときよりもまつげ長く見えるし! プロってすごい。

で、順番が前後するんですが、と断られた上で、まずマスカラをつけてくれた。濃いネイビー。

「マスカラだけでアイラインみたいな効果が出るので、シャドーをつけるまえにそれを実感してもらおうと思って」とのこと。確かに、ちゃんと上がったまつげにマスカラをきれいに塗ると、アイラインを引いたような雰囲気になる。これだけで十分仕事に行ける。

さらに、ラメの入ったブラウンのシャドーをふわっとまぶたに置くと、さらに目元がぱ〜っと華やかになるんですよ。

シャドーはアイホール全体に薄い色、それから目元に向かって濃い色を面積を小さくしながら重ねていくものかと思っていたけど、彼がいうには、もっと自由に好きな色をミックスしていいと。で、そのあとはラベンダーみたいな淡い色を重ねて可愛いグラデーションが生まれ、まつげの少ない目尻と目頭だけに少しラインを足すだけで、いつもよりずっとナチュラルなのにくっきりした目元になった。

ほかにも眉だとか頬とかを何だかんだとしてくれたのだけど、とにかく肌と目元にはとても感動した。

嬉しくなってローション、シャドー2色、マスカラ、眉マスカラ、コンシーラーを購入。でも、全部合わせてお会計は2万円ぐらい。デパコスとは思えない良心的な価格ではありませんか。カウンセリングシートももらえます。

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ここで習ったメイクは全然顔を汚すものじゃなかった。

「顔」という、誰もが持っているオリジナリティの高い絵に、色や光をプラスして、さらに完成度を高めるアート活動のようだった。

だから終わった後がまためちゃくちゃいい気分で、この日はとても美人な気持ちで過ごすことができた。選んでくれたシャドーの色は、その日の服にもよく合っていて、外は雨だったのだけど、足取りも軽やか。

 

ほんと、メイクがマンネリでいまいちうまくできない人は、絶対に行った方がいい。メイクのアップデートをすると、ちょっと自分が生まれ変わったような気分。プロの力を借りるって、本当に素晴らしいなと思った経験だった。

 

みんな行けばいいよ〜!