うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

伝統芸能3夜 — 9月の旅(5)

しつこく続くバリ島旅行記。

3夜にわたって見た伝統芸能の記録をちょっとだけ。

農業や商業に携わりながら、楽器を奏で、踊り、絵を描き、モノを作る。そんな暮らしが当たり前だというウブドでは、毎夜各所でさまざまな公演が行われている。中でも有名なのは、今でも王室の方々が暮らすウブド王宮(プリ・サレン)の舞台で毎晩行われるバリ舞踊の公演だろう。ただ、私が訪ねた期間中は、残念ながら王宮は修復工事中。王宮内の舞台が使えないため、道をはさんだお向かいの集会場となっていた。

ウブド王宮のバロン・レゴンダンス

というわけで、最初の夜はもちろんウブド王宮へ。ウブド中心地の王宮前には観光案内所があって、その周囲にオフィシャルのプレートをぶら下げたチケット売りがわんさかいる。お代は10万ルピー(800円ぐらい)。

スタートは夜7時30分。30分前に会場に入ると、そろそろ人が集まり始めたタイミングで、端っこながらも最前列がキープできた。会場にはビンタン(バリビール)売りも出ていて、もちろん購入。ビールを瓶のまま飲みながら舞台が眺められるなんて最高や。写真も「どうぞどうぞ撮ってください」の体制で、たいへん大らか。会場で日本語の演目解説を受け取る。何カ国語ぐらいで用意されているのかなー。

舞台が始まる前に、花を飾ったり、楽器を準備したり、と粛々と準備が整う様子を眺めるのもまた楽し。

ガムラン演奏の序曲、レゴンダンス、バロンダンス、舞踊劇の4部構成で、この夜のメインの舞踊劇のテーマはインド神話の「スンダ・ウパスンダ(Sunda Upasunda)」の物語に材をとったもの。優れた資質を持つ兄弟が、奢って神の怒りに触れたため、神さまから色仕掛けの謀略をしかけられていろいろ起こるという(違うかな)、吉本新喜劇みたいな内容。

ガムランの瞑想的な響きがなんとも美しく、指先、つま先、眼球にまで力を行き渡らせた独特の所作に目を奪われる。途中、ファニーなメイクの道化役も登場し、喜劇としての側面をはっきりと見せてくれる。

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迫力あるビンタン売りのおばちゃん。腹巻きの中に釣り銭をしまっている。「写真撮っていいですか」と聞くと鷹揚に頷き、撮影後に確認を求められたので画面を見せると、ゆっくりと「GOOD」と言ってくれた。ありがとう。

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ウブドのプラ・プセでケチャダンス

2夜目は火を囲んで、男声合唱と舞踊を楽しむ火踊り、ケチャダンスへ。

会場はウブド王宮から北へ、坂をしばらく登ったプラ・プセ(起源寺)。料金は7万5千ルピー(600円ぐらい)。境内には既に燭台が用意されていて、広場を取り囲むよう座席が用意されている。薪能みたいな感じ。

時間になるとわらわらと50人ぐらいの半裸の男性が寺の奥から現れて、高く低く響く「チャチャチャ」の声を重ね、それに御経のようなソロがかぶさる。会場全体が揺れるような一体感に包まれて、呪術的なリズムに、ふと瞑想しているような錯覚を引き起こす。そこに踊り手が現れて、蝋燭の炎がゆらめく幻想的な舞台で物語を繰り広げていく……。

題材はこちらもインド神話より、ラーマ王子と妻シータの出会いの物語。途中、サヌマンという白猿が登場するのだけど、これが客席に乱入して観客と記念撮影を始めたりするという楽しいサプライズ演出も。こっちにもきて欲しかった!

物語が一段落した後は、地面にたき火を広げて、その上を素足で歩くというパフォーマンスが披露される。ひえ〜。

幻想的な舞台効果もあいまって、とても面白かった。

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■モンキーフォレスト通りで影絵

私にはバリ芸能といえば「影絵」というイメージがあったのだけど、日々いろんなところで行われている舞台の中では、影絵の公演は少ない。たまたま最後の夜に開催されていたので行ってみたところ、前2夜とは打って変わって観客の少なさにびっくり!

開演ぎりぎりに行ったのに、先客が1人(しかも日本人)しかいなかったのだ。会場も場末た陰鬱な場所で、思わず「大丈夫か?」と心配になったほど(笑)。ほどなく、事前に予約していたらしい欧米人が4人ほど来て、わたしたちを含めても7人ぐらいしか観客がいない中で始まった。

「眠くなる」とは聞いていたけど、確かに。スクリーンの裏側からパペットを動かしつつ、効果音やセリフ、音楽が添えられるのだけど、言葉が分からない上に動きも単調なのでどうしても注意力が散漫になってしまう。しかし、光ゆらめくスクリーンの上の影の動き、スクリーン裏の生演奏の響きはとても素敵だった。始まる前にスタッフに「日本人?」と聞かれたのだけど、たぶんそのせいで、劇中「さくらさくら」だったかな、日本の歌がはさまれた。こういうサービス精神がバリ島っぽい。

退屈したのか、欧米人は途中退出してしまい、最後まで残った観客は日本人3人だけ。大丈夫かなーとちょっと心配になる公演ではあった。確かに舞踊に比べて派手さはない。その後同行者とともに「どうやったらこれに人が集まるのかなー」なんて話しつつ帰途についた。

バリ舞踊がさまざまな変化を遂げつつ進化しているように、影絵もエンターテイメント性をましてこれから進化していくのかも。

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4つの美術館 — 9月の旅(4)

一緒に行った友人が美術系のご職業、ということもあり、ウブドでは4つの美術館に行った。一気に見過ぎたのと、バリの絵画は情報量が多いのとで、頭が混乱して整理できていないけれど、これから機会をつくってゆっくりバリ美術の復習をしてきたいな。

日本の美術館との大きな違いは「人が少ないこと」と「オープンなこと」。フラッシュさえ使わなければ写真撮影OKが普通だし(ダメなところもある)、館内にも全然学芸員が座っていない。建物も開放的で、空調もかかっておらず窓や出入口も開け放されているので風や光が自由に舞い込む。作品管理の上では色々と問題があることが素人目にも分かるので心配だけど(実際、湿気のせいか波打っている絵も多い)、見る側とすればとてもリラックスしてゆっくり見られる。

入場料は現地の物価を勘案するとそこそこ高いのだけど、カフェのお茶券がついている館が多く、ゆっくりできる。美術館めぐりって疲れるから、ちょっと一服が込みになってるのはすごくいい。

 

■建物も庭園も素敵なお屋敷美術館[アルマ美術館]

最初に行ったのは「アルマ美術館」。

ここは「庭園美術館」「邸宅美術館」といった感じ。広ーい庭園の中に、バリの伝統美術と、現代美術を分けた2棟が建つ。現役で活躍する美術家たちの制作の場、発表の場を提供して支援する、という役割もあるらしく、美術のワークショップなども頻繁に行われているそう(たぶん)。訪ねた日も庭で木彫をやってる人と絵を描いている人がいて、どういう立場の人かはよく分からないのだけど、光あふれるお庭でゆったり制作している光景はなかなか素敵だった。

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お庭に実るフルーツには、美術家さんが描いた落書きが。可愛い。

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併設カフェにはゆったりソファが配置されていてのんびりできる。スタッフの方々のたたずまいも素敵。コーヒーを頼むとシナモンスティックがついてきた。きっとバリ島産のものだ。

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■情熱がほとばしる[アントニオ・ブランコ美術館]

そして、小高い丘の上に建つ個性派美術館「アントニオ・ブランコ美術館」。

アントニオ・ブランコさんは「バリのダリ」の異名をとるスペイン人画家だそうで、女性をふんわりした色彩で艶っぽく描く絵に特徴がある。館内すべてが彼の作品なのだけど、とにかく女が大好きな画家が「おっぱいおっぱい!」「おしりおしり!」とはしゃいでいる声が聞こえるような可愛らしく素敵な美術館です(笑)。独創的なファサードのモチーフは、彼が自分のシンボルとしてよく使っていた女体をかたどったマーク(?)。観客は女の股をくぐって館内に入るというわけ。あはは。

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しかもこの美術館、入場券を買うと、スタッフが入場客の耳にプルメリアの花を差してくれるのだ。まあステキ! さすが女を描きつづけたブランコさんの美術館だけある。そして絵を見終わった後は、グレナデンシロップのノンアルカクテルを飲ませてくれました。これも「ぽい」演出でさすが!

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お庭にはカラフルなオウムもいる。すごくおとなしい。

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■バリ美術を概観できるボリューミーな展示[プリ・ルキサン美術館]

お次は「プリ・ルキサン美術館」。

ここは広い。4つの棟に、時代ごとにまとめられたバリ美術が大量に収められている。館内は写真撮影OK。館の前で楽器演奏が突然始まったりするサプライズも。お庭も広くて、蓮の咲く池の周囲などを散策気分でぶらぶら。さすがに4棟すべて回ると、もう何が何だかよく分からなくなるけど、画風の違う絵画、彫刻作品もいろいろあって楽しい。カフェのドリンク付き。

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こちら、アナック・ラグン・グデ・ライ・コンタさんの『地獄のおしおき』の部分。現世で悪いことした人たちが、地獄でいろんな酷い目に遭っているのをじっくり見るのが楽しい1枚。

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 観客はとても少ないので、スタッフものーんびり。リラクスして雑談中。概してバリ島の店員さんやスタッフは、用がないときは地面にすわりこんでおしゃべりしたりおやつ食べたりして好きなことしている。日本ではあり得ないけど、仕事なんて本来、それぐらいでいいよねえ。

 

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■美術蒐集家の膨大かつ守備範囲の広いコレクション[ネカ美術館]

 最後は「ネカ美術館」。

お金持ちの美術蒐集家、ネカ氏のプライベートコレクションを収蔵する私立美術館だけど、収蔵品もめちゃくちゃ多いし、コレクションも多岐にわたっていて見応えがある。棟もいくつにも分かれていて、クラシックなヒンズー美術から、モダンな抽象画までバラエティ豊か。バリ島在住の若い美術家のサポートもしているらしく、まだ評価の定まっていない作品もあれこれ精力的にコレクションされている。

バリの芸能の様子を収めたモノクロ写真なんかも面白かった。

フラッシュなしなら写真撮影OKで、館内はこんな感じの開放感! ご近所にあったら通いたい。 

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最後のは撮ってもらった1枚。解説プレートを読むわたし。日本語で解説が併記されている親切設計なのだ。上に写っている絵画は日本人画家の作品だった……はず。

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動物たち — 9月の旅(3)

旅の間、基本的に毎朝ジョギングしていた。

とにかく朝の風景が清新で本当に素晴らしかった。まずはコテージを出る手前の朝の道がこちら。ちょうど朝日の方向に入口があるので、プルメリアが散り敷くまっさらの道を、光に向かってスタートできるのが最高に気持ちいい。

 

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起こしてくれるのは、そこら中で飼われているニワトリたち。

あちらこちらから元気にトキの声を上げ、ステレオ状態で起こしてくれる。

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そしてウブドで最も頻繁に見かける動物はというと、犬。

毛の長い雑種が中心で、バリ舞踊にも登場する聖獣「バロ」にも似ていて基本的に可愛いのだけど、これがジョギング中にはとっても危険。このあたりにいる犬はほとんど飼い犬だそうだが、放し飼いなので道端をうろうろしていて、観光客然とした私がとおると、すかさず吠え立てて追いかけてくる。やめて〜。

(お願い、どけてください……)←心の声。

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こちらは市場で見た子。雑踏を気にする風もなく、悠然と階段の途中に座っていた。

これも朝ジョグ中の一コマ。

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野犬になんとか襲われずにお宿につくと、飼い犬のクロちゃんはおとなしくて臆病で、とても優しいいい子なので安心。

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街歩き中にもたくさんの犬を見かける。

この子は繁華街にいた賢そうな飼い犬。まるで自身が神さまみたいにじーっと鎮座していた。あ、神さまに違いない。きっとね。

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猫もたくさんいる。不思議なのは、その美しさ。

野良犬は病気を持ってるように見える汚れた子も少なくないのに、猫はどの子もすごーく美しい。なんでなんだろ。羨ましいぞ。この子も野良だけど、宿にすっかり住み着いているのだそう。美猫。

 

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この子はお土産物屋さんの猫。ご主人の商売のことなんか気にせず、冷たいタイルの床にできるだけ広い面積で自分を押し付けて涼んでいた。気持ちよさそー。

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まちのBGM係は鳩。ゆったりとしたホウ、ホウ、という声は癒しのメロディー。当然、王宮でお供えもののお米を食べる権利があるってもの。

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雀たちがコテージの屋根の上に。ヒナがお母さんにエサをねだっているらしい。甲高い声がかしましく、愛らしかった。

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昆虫はそれほどたくさん観察できなかったのが少し心残り。次に行く機会があれば、トレッキングなどもして虫をたくさん見つけたいな。

蝶はたくさん見かけたけどうまく撮れなかった。この子はゆったりとバナナ科の花にとまっていてくれた。いかにもな熱帯感。

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川辺には真っ赤なチョウトンボが。翅の美しさにうっとり。

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ネカ美術館のエントランスで立派な網を朝日に輝かせていた蜘蛛。お見事な美しさ。

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ヒンドゥーの島でも牛は働くのか? 世界遺産の棚田の中の小屋でたたずんでいた牛。ものすごーく高貴なお顔で、見とれた。こんな美しい顔の牛を見るの初めてだ。

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あ、あと、宿のテラスで夜にビールを飲んでいるとき、池のそばで蛍を見た、日本の蛍よりも光の間隔が短かった。小さい種類らしい。

ちなみにホタルはインドネシア語で「クナンクナン」、ちょうちょは「クプクプ」。同じ音を重ねるリズムが可愛らしいし、シニフィエにぴったり合ってる感じがする。

捧げ物のある風景 9月の旅(2)

世界最大のイスラム人口国、インドネシアにあって、ここバリ島は住民の大半がヒンドゥー。土着宗教と融合して「バリ・ヒンドゥー」として独自の形式に発展を遂げているのだという。

まちを歩いてすぐに目につくのが、カラフルなお供え物だ。

地域習俗に詳しくないのでよく分からないのだけど、ウブドには200戸ぐらいの世帯が集まった「村」がたくさんあって、村ごとに「起源の寺院(プラ・プセ)、守護寺院(プラ・デサ)、死者の寺院(プラ・ダレム)」という3つの寺を持っているし、家ごとに祠が建てられているし、とにかくどこもかしこも礼拝施設だらけ。いたるところに神さまがいて、あらゆるところにお供え物が捧げられている。

 

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植物の幹をうすくそいだリボンでつくった器に、花やお米、お菓子などを盛り合わせたその可愛らしいお供えものは、寺や家や路傍の祠、神棚にはもちろん、地面に、階段に、木の洞に……と、ありとあらゆるところに捧げられていて、日に何度も取り替えられる。

食べ物が載っているので、置かれるや否や、猫や鳥が食べに来てすぐに散らばってしまうのだけど、そんなこと誰も気にしない。まあ、猫や鳥だってきっと神さまなのだろう。

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まちを歩けば、繁華街に軒を連ねる店々の入口にもお供えものが置かれていて、色んな場所が美しく花で飾られている。特に神さまをかたどった像に花が飾られている風景が本当に愛らしい。

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車やバイクも花やお札で飾られている。昔の日本のお正月みたい。

しかし、バイクに載せてもすぐ落っこちちゃうのにね。

 

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バイクといえば、こっちはスクーターが市民の足として大活躍していて、2人乗り3人乗りでぶいぶい飛ばす。ノーヘルだし、交通ルールも適当だし、絶対無免許と思われる子どもだって乗ってるのがめずらしくないし、見てるとヒヤヒヤするのだけど、事故は意外に少ないのだそう。神さまに守られているからなのかな?

 

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お供え物に欠かせないマリーゴールドは、田園風景のそこここで育てられていて、その鮮やかな色彩が、のどかな風景の中のピリッとした魅力になっている。

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お供えものの小皿は、おうちで家事や仕事の合間に手作りするものなのだそうだが、市場に行けば大量に販売されていて、早朝の買い出しで手に入れることも多いのだそう。

 

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工夫をこらしたカラフルな捧げ物の数々は、「かみさまを可愛くしてあげよう」「神さまをもてなそう」という意識がそのままかたちになっている気がして、見ても見ても見飽きなかった。

 

ウブドの朝 — 9月の旅(1)

この夏は家族で山に登った以外は夏らしいことがあまりできなかったのだけれど、9月に夏の延長戦があった。酷暑を忘れたかのように涼風に包まれ始めた日本を後にしたのは9月5日。

超久々の海外旅行。更新したばかりのピカピカのパスポートを携えて「ほんまに行けるんかな」という、うっすらとした非現実感とともに機上の人になった。行き先はバリ島。ウブドに知人の宿があり、数年前にひょんなことから協同運営者の末席に名を連ねることになり、その縁でお誘いを受けて訪ねることになったのだ。

格安航空エアアジアのクアラルンプール乗り継ぎ便を使い、その便が遅れたりもしたため、バリ・デンパサール空港に到着したのは予定より遅い深夜11時過ぎ。宿が手配してくれたドライバーさんが迎えに来てくれていて、ここから1時間あまりのドライブでウブドに向かう。空港を出ると、もわっとした南国の空気がまといついて、車窓の向こうの夜の中には巨大な彫像や椰子の木やカラフルな看板が浮かんでは消えてゆく。風景も人もものすごく艶っぽい。

たどりついた宿はウブドの中心部から少し山側に上がった田園風景の中にあるコテージ。私と同行者が泊まる棟の前には睡蓮の浮かぶ小さな池があっり、宿前体がやわらかい虫の音に包まれていた。

翌朝、めざめてテラスに出ると、目の前の風景はまさに楽園。ふあー。

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なんだか体がじーんとして、テラスでぼーっとしていると、朝の散歩に出かけるお宿のご主人、久々にお会いする知人にして大先輩がこちらに向かってくるのが見えたのでご挨拶し、簡単な身支度をして、朝食のために食堂に向かう。

 

食堂からは隣の田んぼがよく見える。田んぼでは条件がよければ三期作ぐらいやるみたいで、宿の近くの田んぼは、田植えからしばらく過ぎて青々と若葉が育っていた。

害虫駆除のために飼われているあひるがグワッグワッと鳴きながらあぜ道を並んで歩く風景には笑ってしまった。おじさんの声にみんなで一斉に振り返ったり、思い直したように歩き始めたり。

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この日の朝ごはんはバリコピ(コーヒー)、フルーツサンド、オムレツにフレッシュジュース。フルーツが野菜みたいなさっぱりした素朴な味わいでおいしい。

 

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朝食をゆっくり食べながら、宿の奥さんと今日の予定を相談。私はほとんど何も下調べをせずに来てしまったアホなので、同行者と奥さんが話していることがさっぱり理解できないまま横でうなずくのみ(笑)。でもとにもかくにも旅が始まって、なのにワクワクどきどきというよりはリラックスしていて、来たばかりなのに「また来たいなあ」なんて考えていた。

この朝の気持ちよさは、もう一生忘れたくないなあ。

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ルーティーンをやめること、あるいは名古屋ウィメンズマラソンへの愛を込めたさようなら。

マラソン大会にエントリーするようになって8年ぐらい経つ。

 

ランニングに対する熱は上がったり下がったりしながらも、コンスタントに大会には出場していて、ここ3〜4年は、秋のフルマラソン(神戸マラソン大阪マラソン)でシーズンの幕を開け、1月に10kmを走り(武庫川新春ロードレース)、2月にハーフを走り(神戸バレンタインラブラン)、3月にフルをもう1本走り(名古屋ウィメンズマラソン)、タイミングがあえば4月に10kmをもう1本走ってシーズンを終える(芦屋ファンラン)、というサイクルがすっかり定着していた。

抽選のないこぢんまりとしたレースなら直前でもエントリーできるけど、大阪マラソン神戸マラソンのような都市マラソンは本番の半年も前にエントリーが始まって、抽選で当落が決まる。エントリーの時点では、半年も先のことをあまり真剣に考えずに「運試し」的に申し込んでしまうのだが、当選するとやっぱりうれしいので走る。秋のレースは幸いなことにどちらかひとつは当選するので、結果的にルーティーン化した感がある。

ちょっと変わっているのが名古屋ウィメンズだ。基本的には抽選なのだけど、一般エントリーに先行して、遠方から参加するランナーのための「宿泊付きエントリー」という枠があり、ホテルとマラソンをセットで購入すれば、抽選なし、先着順でエントリーできるのだ。

2012年の第1回大会ではそもそも一般エントリーが先着順だった。第3回は近鉄電車の往復とホテルをセットしたツアーがあって、その枠で走った。宿泊+エントリーだけのパックが登場したのは第4回以降だったと記憶する。いずれにせよ、人気があるけれど確実に走れる大会として毎年エントリーするようになった。

マラソンブームは一段落しているようにも思うが、一部の大会には異常なまでの人気があり、この名古屋ウィメンズも年々人気が高まっている大会のひとつだろう。

私は折り返しの多い名古屋のコース自体はあまり好きではないのだが、コース全体にアップダウンが少なくフラットなのでベストが出やすいし、なにしろ「女子ばかりのフルマラソン」という価値は他に替えがたい。

マラソンが女子ばかりだとどうなるか。無理な追い越しをしてくるランナーが少ないので安全で、給水所で紙コップを道にポイ捨てするランナーが少ないので清潔で、レース終盤に道路にバタバタと倒れているランナーが少ないので終始レースがスムーズ。つまり、端的にいってものすごくマナーがいいのである。全体的に明るいウェアのおしゃれなランナーが多いので視界もいい。あんまり男女の区別はしたくないけれど、名古屋ウィメンズを走るたびに、他のマラソン大会のマナーは一体どうなっているのか、と思わざるを得ない。本当に全然違うのだ。なんでなんでしょうね?

 

マネジメントも気が効いていて、あんなに参加者が多い大会にも関わらず、レース前には名古屋ドーム前の広い駐車場で、前方モニターを見ながらランナー全員で楽しく準備体操ができるし、ゴール直前には、素敵な音楽と素敵なメッセージがランナーを温かく迎えてくれる(私はいつもここで泣きそうになってしまう)。先にゴールしたランナーが後続のランナーを自然に応援できる動線になっているのもいい。

 

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名古屋ウィメンズといえば「ティファニーがもらえる」ことばかりがクローズアップされがちだが、本当によくデザインされたいい大会なのである。

 

インバウンド施策も積極的に講じているのだろう、去年などは特に海外からの参加者も目立った。なるほどこの大会ならぜひ海外の人に参加してほしいと私も思う。ただ、やっぱり人気が高くなりすぎてエントリーが困難になっているのは、初期から参加している者として少々寂しい。仕方ないけどね。

 

名古屋ウィメンズ語りがムダに長くなってしまった。

かように素晴らしい大会でるため、私は今年も上記のルーティーンを続けるつもりだった。秋は大阪マラソンを走り、1月は武庫川で10kmを走り、2月は神戸でハーフを走り、3月は名古屋でフルを走るつもりだったのだ。でも私は失敗した。気づけば名古屋ウィメンズの宿泊付きエントリーが始まって3日も過ぎていたのだ。

今年は9月1日10時からエントリーが始まったのだが、人気が過熱したせいで直後にアクセスが集中してアクセス障害が発生したらしい。後から知ったことだが、初日にエントリーを完遂するのは3時間も4時間もパソコンの前で張りつかざるを得なかったという。そういう意味では気づかなくてよかったのだが、遅ればせながらエントリー画面にアクセスした私は、残ったホテルの選択肢を見て絶句した。エントリー料(12000円)を含むとはいえ、残ったプランは軒並み、1泊で5〜6万とか、めちゃくちゃ高額なのである。素泊まり、よくて朝食ついてるだけですよ? 去年までこんなに高くなかったと思うのだけど……。たまに3万円ぐらいのがあるかと思いきや(それでも高い)、宿泊地が四日市とか、豊田市とか、めちゃくちゃ遠い。

 

それでも「実績のあるよいルーティーンを守りたい」という謎のモチベーションでエントリーしかけていたのだけど、次の瞬間はたと気づいた。よく考えればもうあたし、もう名古屋は十分走ったなと。明らかに料金も去年より高騰しているし、初回からスポンサーとして大会のブランディングをリードしてきたナイキも降りて、ニューバランスという新しいスポンサーがついている。使わないティファニーも溜まる一方だ。大会も変質しているし、私も変化している。名古屋ウィメンズは、私よりキラキラしたフレッシュなランナーがより多く走るべき大会になっている。

 

というわけで、気持ちを切り替えて名古屋の代わりに2月の「北九州マラソン」に初めてエントリーしてみた。抽選なので当たらないかもしれないけど、倍率もアホみたいな高さじゃないので当たるとうれしいな。私、北九州市の、自然と人工がせめぎあう緊張感のある風景がものすごく好きで、出張でたまに行くたびに、うっとりしすぎて風景見ながら涙ぐんでしまうほどなのである。あの風景の中を走れるのはものすごく楽しそう。しかもコースも、私が理想とする往復コースに割と近い。北九州なら前日の一人飲みも楽しそうだ。そう想像するだけでものすごく楽しくなり、気分が明るくなった。

 

ここまで長々書いて、一体何がいいたかったかというと、ルーティーンは意識的に破るべきだし、破って初めて新鮮な何かが発見できるということだ(ドヤっていうほどのことではないですね)。一つひとつの内容がいくら価値あるものだったとしても、それがルーティーンとして鎖につながれると、「こなす」感覚、義務感がどうしても出てきてしまう。わたしは知らず知らずのうちに、保証された達成感をただた得ることを、ここ数年のランニング生活の最上位に置いてしまっていたなと。そこにひとつでも新しい要素を加えるだけで、わくわく感がこんなに上がるとは。

 

ここのところ。ランの記録も上がらないし、走ることそのものに対するモチベーションが低調化していたのだが。よく考えれば私が走り始めたきっかけは、単純に「服が似合う体型を維持するため」だったのだった。そして実際に走ってみると、普段見過ごしているような道端の花が、空が、街が、鳥が、海が、ものすごくきれいに視野に入ってくることも知った。出張で見知らぬ街を走ることが、どれだけ土地と自分を近づけてくれるかも知った。8年でモチベーションはいろいろ変化したけれど、8年間の間、ずーっと続いているそれらの感動までルーティーンの中に埋もれさせてしまわないように、新しいチャレンジを加えていきたいな、というささやかな気持ち。

 

来年は秋のマラソンも見直してみよう。

でも楽しく走り続けたいな、と思う。

観劇記『プレイヤー』〜演出家・長塚圭史の退屈と興奮

森ノ宮ピロティホール
作・前田知大 演出・長塚圭史 キャスト・藤原竜也仲村トオル成海璃子シルビア・グラブ峯村リエ、高橋務、安井順平、村田絵梨、長井短、大鶴佐助、本折最強さとし、櫻井章喜木場勝己真飛聖

舞台はある地方都市の公共劇場、そのリハーサル室。国民的なスターから地元の大学生まで、あらゆるキャリアを持つ俳優やスタッフたちが集まり、演劇のリハーサルが行われている。
演目は『PLAYER』。幽霊の物語だ。死者の言葉が、生きている人間を通して「再生」されるという、死が生を侵食してくる物語。(中略)
 物語は、劇中劇と稽古場という二つの人間関係を行き来しながら進んでいく。死者の言葉を「再生」することと、戯曲に書かれた言葉を「再生」することが重なり、演じることで死者とつながった俳優たちは、戯曲の中の倒錯した死生観に、どこか感覚を狂わされていく。
(公演パンフレットより)

 

natalie.mu

昨日の仕事中、ふと、今まで観劇してきた舞台のパンフレット類をつっこんでいるファイルボックスから古い冊子をあれこれ取り出してパラパラめくっていたら、阿佐ヶ谷スパイダースの2010年の公演『アンクチクロックワイズワンダーランド』のパンフレットが目についた。タイトルは翻訳劇ふうだが、長塚圭史が書き下ろしたオリジナル脚本である。これが実は(あくまで私の乏しい演劇鑑賞経験の中ではあはるが)、確実に生涯ベストの10指に入る1本なのである。梅田のシアター・ドラマシティで、興奮と喜びに震えながら泣いたことをはっきりと覚えている。前から5列目ぐらいのいい席だった。

私は特に阿佐ヶ谷スパイダースのファンというわけではない。長塚圭史は俳優としてちょくちょく観る機会があったものの、演出作は2003年の『ウィー・トーマス』まで観たことがなかった。しかし、これが観客の予測を上に上に裏切り続けていくハードスプラッタで、めっちゃ面白かった。ラストには、舞台上がほんとうに血の海になるという。舞台でそこまで血糊使うのか!? という衝撃。セットも俳優も演出もよかった(主演の北村有起哉さん最高やったな……)。救いのない物語なのにどこか爽快。体を張って舞台を作っていることが伝わってくる躍動感に興奮した。

2008年には、作・演出を長塚圭史が手がけ、松たか子鈴木杏がダブル主演する『SISTERS』を観た。これがまた素晴らしくてさ。痛々しくグロテスクな愛の物語を詩的に表現……というには、俳優にあまりにも大きな負担を強いるS味の強い演出に目をむいた。このキャストでそこまでやるか……という容赦なさに、演出家としての長塚圭史の業の深さを見た。体に痺れたような余韻が残る素晴らしい作品だった。

『SISTERS』をひとつの区切りとして、長塚圭史文化庁の新進芸術家海外留学制度で、2009年9月までロンドンへ留学するのだが、私は「留学前にこんなインパクトの強い舞台やってしまって大丈夫なのか」と心配した。帰国後、これを超えるインパクトのある舞台が作れるのか、と。しかしそれは杞憂であった。帰国後1発目の『アンクチクロックワイズワンダーランド』は、これまでのイメージを打ち破り、なおかつ違う地平に観客を運んでくれる素晴らしい意欲作だったからだ。

いや、客観的に見れば、とても観念的で退屈な舞台だった。しかし、その退屈さこそがものすごく刺激的で、痛々しいほど攻撃的で、観ている間じゅう私は大興奮してアドレナリンを出し続けた。

……と、感動した割には具体性のない描写で申し訳ないが、実はもう具体的な内容をよく覚えていないのだから仕方ない。なんか冒頭に髑髏を作る女が出てきたっけな……。でもほんとうにすごく面白かったのよ。脳内を攪乱されるような興奮は、まるでドラッグだった。ま、カーテンコールが終わった後、隣に座っていた2人連れの上品なマダムから「意味がわからなかったよね」「途中で寝ちゃったわ」という会話が聞こえてきたが、こういう善良で上質な観客を裏切る覚悟をしたことがまた素晴らしい、と思ったことを覚えている。

2010年といえば、小林聡美主演の『ハーパー・リーガン』(長塚圭史演出)も素晴らしかった。前半と後半で全くテンポが異なる演出は、まるで音楽の転調のようだった。前半の退屈を、後半の興奮がすべて回収していく。演劇にはこんなことができるのか、と感心したし、静謐と饒舌の表現に深みが増している、と感じ入った。観客に退屈を課すことを恐れない、ある種の「傲慢さ」の魅力。ああ、2010年に戻ってもう一回見返したいなあ。


……たいへん前置きが長くなりました。

以上のようなノスタルジーにひとしきり浸ったわたしは「そういえば最近の長塚圭史ってどうなってるんだろう」と思って検索し、最新演出作『プレイヤー』が大阪公演の真っ最中ということが分かったのでした。しかも当日券があるという!
何か運命のようなものを感じて早速予約。予約時点では「立ち見席」しかなかったけれど、実際に会場に行ってみると「開放席が出た」ということで、割といい席で着席して見ることができました。よかった。

 

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で、『プレイヤー』です。
あの2010年から7年。長塚圭史は今、どんな地平にいるのでしょうか!

かつては「興奮至上主義者」のようだった彼。ロンドン留学を経た2010年には、観客の退屈を恐れないチャレンジャーになっていた彼。
果たして2017年、彼はすっかり大御所になっていました。退屈を恐れないどころか、あえての退屈と冗長を使いこなしながら、その退屈と冗長にこそ、有無をいわせぬ説得力をたたえる術を完全に備えていたのです。

ほめすぎかな。

いや、実際に大御所ですもんね。顔もどんどんお父さんの長塚京三に似てきてるしさ。
それはさておき、退屈さから傲慢さが差し引かれ、まろやかになったな〜と思った。


冒頭に掲げたストーリーの要約を見ても分かるように『プレイヤー』という芝居は、劇中劇という入れ子構造に、「今ここ」の舞台と観客の二重性を重ね、さらに劇場外の現実の要素を重ねていく……という、メタにメタを重ねた多重構造になっている。いかにも理屈っぽくて賢そうでややこしい。そうした複雑な構造を分かりやすく整理して伝えるのではなく、あえて境界を曖昧にしていく文法のもとで舞台は進む。かといって、そこに「あえてわかりにくい芝居をやってやるぜ」というような、尖った気負いはない。

劇中の登場人物たちは、死者という空白の回りに集い、その周辺をぐるぐると回る迷える魂の群れだ。そうした群像がかたちづくる不気味で不穏な空気を描きつつ、さまざまな含意やメタファーやメッセージを、安っぽくもなく、図式的になりすぎもしない適度な曖昧さに着地させ、ありきたりな表現だが「観客の数だけ答えがある問題」として演劇的に提示する。

こんなこと書いてると芸術性の堕落みたいだけど、そんなことはない。これが成熟ってものなんだなあと。こういうややこしい題材を、演出のコントロールを隅々まで利かせつつ、実力があり誠実な俳優の力を借りて退屈かつ冗長に表現する、ということができる(許される/可能である)人は限られている。長塚圭史は間違いなく、その立場にいる演出家のひとりなのだなあ……と。美しい進化です。


個人的な感想を述べると、私は登場人物一人ひとりの理屈の中にもれなく個人の利己がにじむところにもっとも共振した。人は人を、生者は死者を(強者は弱者を、いいかえてもいい)、どうしょうもなく利用するものなのだ、という達観とある種の滑稽さが、あるかなきかの希望とともに描かれていたな、と。

これは脚本マターだけど、生者の記憶≒幽霊≒死者という図式も、面白いなーと思った。集合的無意識とか、死者と生者の交流とか、増えていく死体、といったモチーフや世界観には村上春樹っぽさがあって、そこには決して新しさはないけれど。

俳優のことをいうと、舞台で初めて生で見た仲村トオルはこの世のものとは思えぬ「王子様」感があってびびりました。ほっそ! 体型なんて、まんま少女漫画に出てくる男子です。藤原竜也よりもよほどファンタジーな存在感。ディズニーの王子様役とかもできそうやな、と思った。51歳だぜ、仲村トオル。すごいよ……。

途中、着ぐるみの犬が出てくるシーンがあるのですが、このシーンはグロテスクでよかった。犬の名は「シュレディンガー」。中に入っていたのは市長役の櫻井章喜。この演技もよかった。制作スタッフ役の長井短さんもよかったですね。表情が遠くからでも分かる。身体も舞台に映える。ピリッとしている。

なんかもうちょっとうまいこと書こうかと思ったのに、長いだけで面白くない内容になってしまった。辛い。とはいえ、まあ、なんしかわたしは面白かったです。ある演出家の成熟。そしてそこに横たわる十数年の月日。

しかしそれを傍観しているわたしは一体、どんな成長をしたっていうんですかね……なんて考えるとまあ、ちょっと暗くもなるのだけれど。


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