うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

あの頃

小学校時代は退屈との闘いだった。

長い長い6年間を指折り数えて卒業できる時を待った。

でも、中学校も似たり寄ったりのひどい場所だった。

少し自由度が上がったのは事実だとしても。

月曜日ごとに行われる校庭での朝礼というやつは何だろうか。

あれは本当に最悪だったな。

どうでもいい校長の話を直立不動で聞く。

夏は暑いし、冬は寒い。

何人かは脳貧血で倒れる。

脳貧血を起こした人は日陰に座って休む。

というか、最初からみんな座って聞けばいいだろう。

校庭に出る必要あるのか。

校内放送でいいじゃないか。

いや、そもそも放送する意味なんてない。

あの場所で誰かが意味のある話をしたことなど一度もないのだから。

私は、とりあえず意識を「今ここ」から他に向けるために、

妄想することで朝礼の時間をやり過ごした。

朝礼が早く終わってほしいので、朝礼が終わった後のことを考える。

教室に戻る、授業を受ける、家に帰る、また次の日が始まる…。

退屈きわまりない日々を繰り返して私は小学校を卒業する。

次は中学だ。

中学にも朝礼があるだろうか。

しかし中学は小学校の半分の期間しか行かなくていいところが美点だ。

私はセーラー服を来て、やはり毎朝そこに通う。

春、夏、秋、冬。それを3回繰り返せば卒業だ。

高校に入学する。制服はセーラー服だろうか。ブレザーだろうか…。

まあ、だいたいそんなところでチャイムが鳴る。

幽体離脱していた私の魂がしぶしぶ肉体に戻る。

さっきまで高校生ぐらいに成長していたのに、気づけばしがない小学生だ。

がっかりする。

私は朝礼のたびに「朝礼後の自分」を妄想した。

中学生ぐらいで止まることもあれば

大学まで進むこともある。

未来に進めば進むほど細部が茫洋とするものの、

人間関係の悩みなど、妙にリアルに想像できることもあった。

小学校を卒業するまでに、無数の朝礼があり、無数の妄想があり、

無数の自分の成長譚があった。

そのせいで、私は実際に小学校を卒業してからも、

「本当の自分はまだ小学校の校庭にいるのではないか」と疑うことがよくあった。

成長した私は、小学生の私が妄想している私ではないのか。

今にもチャイムが鳴って、

はっと気づけば校庭の真ん中に引き戻されるのではないか。