読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

祖母の三回忌

フィクション

「ただしちゃん!」と、還暦を少し過ぎた叔母が叫んだ。
 父が無造作に叔母に渡したA4三つ折りリーフレットの表紙には「小野ただし」という大きな文字と、満面の笑みを浮かべた小太りで薄毛の男性の大きな顔写真が印刷されている。彼は大奥山南小学校・中学校で叔母と同級生だった「男の子」で、このたび市会議員選に出馬することになったのだそうだ。
「妹さんと同級生なんですわ、ってゆうとった。2回も来てくれとったど」と父。「なかなか感じのええ人やった」
「へえーがんばってんねんなあ」と叔母。ひとしきり、あのただしちゃんがねえ、とか、まさかただしちゃんがねえ、とか言ってはいたものの、実はさほど興味はないようで、リーフレットはすぐに畳の上に捨て置かれた。
 父や叔母や「ただしちゃん」が生まれ育った紀伊半島の山深い集落は、今ではすっかり限界集落と化している。彼らが昭和20〜30年代に通っていた学校は昭和63年に廃校になり、校舎はそのまま山中で荒れるに任されているようだ。周辺に点在する20ほどの集落が合わさって成立していた村も、平成の大合併で隣接する市の一部となり、地図から名前を消した。
 叔母は今は大阪に暮らしている。既に夫とは死別していて、もっか9歳と3歳の孫娘に夢中だ。年よりもずっと若く見える彼女は孫たちに自分を「多恵ちゃん」と呼ばせ、2人の孫娘の母、つまり自分の娘よりも精力的に面倒を見ている。叔母にはもう一人37歳の息子がいるが、彼は「一生独身主義で過ごす」と明言しているので、これ以上孫が増える期待は薄い。しかし、結婚して束縛されたくない、と話す彼も、姪の世話となると「多恵ちゃん」に負けず劣らず積極的に買って出ており、姪たちも非常に彼に懐いている。なんだか矛盾しているような気がするんだけど、よく考えればそうでもないか。嫁や実子を持つのは気が重いという感受性があればこそ、直接的に責任のない立場に立てば血縁のある子どもを過剰なまでに可愛がれるのかもしれない。

 祖母の3回忌の法要を終え、豪勢な仕出し弁当をつつきながら、同じような顔つきの親戚同士でとりとめもない世間話が始まる。死んだ祖母はまるで人徳がなかったので、長年同居してその世話をしてきた母を筆頭に、そこに集う親族全員が彼女の生前の悪口をひととおり話すのが葬式以来早くも定例化している。しかし、その問題の源である本人は今はこの世にいないので、悪口といっても生前のような切実感や問題提起力はなく、一見ネガティブながらも、親族が共通で理解できるほとんど唯一の話題として、コミュニケ—ションの潤滑油めいたものにさえなっている。彼女は死んで初めて、家族の中に有意義な位置を占めることができたのかもしれない。

(つづかない)