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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

かぐや姫の物語

ほとんど恐怖に近い感動だった。
午後から仕事の予定が入っている日、朝一番の回で観たのだけれど、見終わった後、ぶるぶる体が震えて、本当はどこかに突っ伏して号泣したい気分だった。しかしあと30分で仕事の現場に行かねばならない。とりあえず、薬局でニベアと歯ブラシを買って、トイレで歯を磨いて、涙でカピカピになった頬にニベアを塗った。真っ赤に充血していた目を休めるために、できるだけ目を閉じた。しかし目を閉じると映画のシーンが浮かんでくるので、また涙が出てきてしまう。

観るまでレビューを読むことを自分に禁じていたので、見終わってから雨宮まみさんのレビューを読んだ。

『かぐや姫の物語』の、女の物語 - 戦場のガールズ・ライフ

解釈としては確かにうなずけるのだけど、映画を観ていた間、私はこういう女性の喪失のストーリーみたいなメッセージをほとんど感知しなかった。ストーリーではなく、断片的なエピソードが突き刺さりすぎて、うまく話の流れ、喪失のストーリーを追えなかったのだ。食べられなかった雉鍋、子どもの成長への親の狂喜、心配するときの身も世もなさ、娘の味方でいようとする母親が娘の肩にそっと置く太い指、帝に抱きすくめられたときの生理的な嫌悪感は本当に突き刺さって私の体まで痙攣した。そしてあの絵、音楽。

いつも客観的で、幅広いものに共感し、長所を引き出すレビューを書かれる「琥珀色の戯言」さんのレビューも、観るまでの楽しみにとっておいたので読んだ。

映画『かぐや姫の物語』感想 - 琥珀色の戯言

すると、思いもよらないことが書いてあって、衝撃を受けた。私は『風立ちぬ』を観たとき、映画としての面白さがあれだけ豊かな一方で、どうしようもないやりきれなさ、二郎へのいらだち、菜穂子への嫌悪感を感じて、それこそ一週間ぐらい「鬱々とした気分」が続いたので、ああそうか、逆か、全く逆か、『かぐや姫の物語』は観る人が観れば、私が『風立ちぬ』に感じたいらだちを惹起する映画なのだと分かって、目からウロコが落ちた。おもしろい。本当に面白いなあ。私は二郎はとてつもなく「わがまま」だと感じたけれど、かぐや姫をとてつもなく「わがまま」だと感じる人がいる。誰しも、意に沿う形での自己主張は好ましい向上心だと感じるし、意に沿わない自己主張はわがままだと感じてしまうものなのだ。

「基本的に原作の竹取物語に忠実」と色んなところでいわれているけど、そうかなあ?
↓ここでざっくり読んでみると、かなりアレンジしているし、割と重要なところを変えてるし足してるよね? 

竹取物語〜現代語訳


映画、ものすごくよかったけど、原作とは全然伝わるものも、ストーリーそのものも決定的に違う。原作に目を通してみて、帝と姫が心を通い合わせるエピソードなんかは、映画とは別の意味でいいと思った。描き方によっては、お互い「この世で唯一のもの」「異端のもの」として存在していく悲しみと辛さを共有できる存在になりえたのではないかと思うのだけれど。原作のラストの、月の世界からの贈り物を地上の者が受け入れず、焼いてしまう、というエピソードもよかった。施しを拒否するか、受け入れるか。そのせめぎあい。

まだ感情がぐるぐるしているので、もう何度か観たい。私なりに気持ちを整理したい。