うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

『かぐや姫の物語』その2

1はこれ。

かぐや姫の物語 - うだうだと考える日記

 

この映画は女性なら誰でも泣くんじゃないかと思ったけど、身近な女性からも結構ネガティブな意見を聞いた。色んな感想があるのは当たり前のことなのだけど、なんか悲しい。*1自分が好きなものを嫌われて悲しいと思ったことなんて、これまであまりなかった気がするのだけど、この作品に限っては、けっこう悲しい。私自身の嫌われ方に通じるような気がするのかもしれない。

まだ2回目は見てないのだけど、再度予告編を見ると、私はやはり、御簾の外側に求婚者がずらりと並ぶシーンでかならずたまらなくなって泣くのだ。男。男が並んでいる。選択肢があるように見えて全くない。「よりまし」な方を選ぶしかない。女として生きていくしかないという絶望。幼少期の幸せな記憶がその絶望を際立たせる。私は“男らしさ”を憎んでいるんだと思う。それを男である高畑勲が描いたところに、この映画の、私にとってのキモがあった。肯定されたとは思わない。メッセージが美しいとも思わない。でも刺さる。

翁は毒親だ、という指摘を目にして、なるほどなあ、そういう見方があるのかあと思った。

2013年12月02日のツイート - 高橋フミコの日記


ま、確かに。
大塚ひかりさんの新刊『ひかりナビで読む竹取物語』にも、翁の行動の不可解さと、それと対照的な媼の存在感の薄さに対しての言及があって、翁と姫の男女の可能性、といっても肉体関係とかあったとか、そういう生々しい話でないとしても、恋愛感情ないし欲望が存在し、姫をコントロールすることを通じて翁自身の欲望を果たそうとしている可能性が匂わされてもいた。光源氏と養女・玉蔓の関係とシンクロするものとして。
あくまで映画を観た感想だけでいうと、私が気になったのは、むしろ媼の無力さが姫に害をなしている様子だった。彼女は一貫して心情的に姫に寄り添っているのに、翁の家父長的なふるまいに全く異を唱えないところが少し不審で、この夫婦に子どもがいないことと関連する夫婦関係の葛藤がそこにある気がして、かぐや姫と併せて媼も可哀想に見えた。

*1:男が批判しているのを読んでも全然悲しくならない。特に宮崎駿監督が「この映画を観て泣くのは素人」と言っている記事は痛快ですらあった。宮崎駿監督にとっては「女は素人」なのだろうと思ったから。