うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

『彼女たちの売春(ワリキリ)社会からの斥力、出会い系の引力』

彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力

彼女たちの売春(ワリキリ) 社会からの斥力、出会い系の引力

 

 

Kindle版をiPhoneで読了。
主に「出会いカフェ」を舞台にして売春(昨今ではワリキリというらしい)する女性の事例を全国から集め、採録し、集計した労作。「出会いカフェ」とは、主に男性客が女性を見定め、「トーク」という名の店内での交渉を経て、一緒に「外出」に至らしめる仕組みを提供する店舗で、「外出」で何をするかは、金銭の授受も含めて本人同士の合意に任せられていて店は干渉しない。外出では、カラオケ、お茶、食事など、いわゆる擬似デートを楽しむケースもあれば、そこに「おさわり」などのセクシャルな行為が付加されるケース、また、ホテル、車内、自宅、時には屋外などでの売春行為が合意されるケースもある。中には、特殊な性サービスや写真撮影、動画撮影などを求めてくる男性もいる、のだそうだ。

途中の7章には、もともと取材対象だった「ナナ」という女性が、その頭の良さと社交性を生かして「優秀なアシスタント」として著者の取材活動をサポートするエピソードが綴られている。また、彼女自身が出会い喫茶で過ごす日常を綴った日記もそのまま挿入されていて、そこには、日々すれ違う男性たちの端的な描写が続く。「エロエロ感が少ない!!さわやか^^」というように褒められる男性もいるけど、たいていは「めんどくさい」「ホント気持ち悪い!!」「うざかった」「くさい」……など、さんざんな言われよう。気前がよくてエロくない人は、いい人。金もないのにエロい要求をする人は、キモイ人。そりゃそうだ。

だいたい誰でも興味のあるものしか見ないから、普通の生活をしていて電車や街で大量の人間とすれ違っていても、そんなの背景でしかなく、その人についてあーだこーだ思ったりしない。そもそも視界に入らず、見てもいない。群衆の中の誰からが立ち止まって自分の方を向き、何か話しかけてきた時、ようやくその人は背景から浮かび上がり、目の前に存在する具体的な「人」となる。ナナの日記の中で「くさい」「ありえない」「キモイ」と切って捨てられる男性は、具体的にどんな風貌なのかは分からないけど、確かに、電車の中に乗っている男性を片っ端からエロい要求をしてくる初対面の客だと想定したら、ほぼ100%キモイ。そうして丁寧に人の姿を見ていくと、色んな人がいるなあ、と改めて思う。ふだんから見たいものしか見ずに生活していたら「世の中はいい人ばっかりだ」という脳天気な世界認識になるのだけど(そして、実は私はかなりの部分、そういう脳天気で視野の狭い人間)、わざわざ不快なものを見ようとする人もいるし、見たくないのに強制的に見せつけられている人もいる。

この本の中に出てくる女の証言は「キモイ男との接触は苦行でしかない」というようなものばかりだが、買う男の方も、何のテクニックもない素人を言いなりにさせるということに喜びを見いだすタイプが多いことが匂わされており、そこに「陰惨さ」がある。しかし、これが出会いカフェでなく、もっとプロフェッショナルなサービスを提供する業態での調査なら女性側のプロ意識や客側の消費者感覚も大きく変わるはずで、これをもって風俗全般のあり方が分かるというものではないだろう。

全然書評でもなんでもないただのつぶやきになってしまった。

荻上チキさんの単著を買うのは初めてだけど、荻上さんのブログがまだ「成城トランスカレッジ!」って名前だった頃、私はかなり熱心にブログを読んでいた。ユーモアにくるみつつ、的確にジェンダーフリーを解説する「ジェンダーフリーFAQ」とか、秀逸だった。『バックラッシュ!』が発行されたのは2006年。それまで「荻上チキ」という筆名は使われていなかったと記憶する。私はchikiさんのことを完全に女だと思っていた。なんだろ、口調とか、考え方とか。2008年ぐらいからあまり読まなくなったけど、当時はジェンダーフリーフェミニズム関連の情報に触れまくっていた。あの頃、切実に感じていた欠落感は埋まったのか、埋まっていないのか、ただ鈍感になっただけなのか、分からない。

 

 

バックラッシュ!  なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

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