うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

森茉莉『貧乏サヴァラン』『甘い蜜の部屋』

ちょっと仕事の資料として耽美的な文章を探していて行き当たった森茉莉森鴎外の娘、として名前は知っていたけれど、著作を読むのは初めて。

貧乏サヴァラン (ちくま文庫)

貧乏サヴァラン (ちくま文庫)

 

 
まずkindle版で買った『貧乏サヴァラン』が面白かった。貧乏サヴァランとは、美味礼賛の著者、ブリヤ・サヴァランに匹敵するほどの繊細な味覚を持っているにも関わらず、貧乏のためにその繊細な味覚に見合う欲望を容易には満たせない女、マリア・サヴァラン……に自身をなぞらえた森茉莉のグルメエッセイ。官能的な味覚描写のオンパレード。気持ちいい。こういう本はチョコレートをちまちまかじりながら、頁に折り目とかチョコのシミとかつけながら味わうように読むべき本で、kindle版で買ってはいけない

私の貧乏は変な貧乏で、鰯を三尾焼く貧乏ではなくて、金のある日、バタ、上等の味噌、調味料を買っておいて、葱三十円で二日保たすかと思うと四千五百円のカーディガンを買ってくる。手は空いているが頭の中は夢ばかりみているから、カーディガンは春から次の秋までハンガーに首吊りの姿勢のままで、着ようとすると虫食いになっている。そこで深夜密かに川へ捨てに行く。

 「川へ捨てに行く」って(笑)。
贅沢が身についた人が書く「上質な暮らし」系のエッセイなのに、上から目線の説教臭さや嫌味ったらしさがないのは、この人が子どものように純粋にわがままで自分のことにしか興味がないから。これが、いいんだよねえ。すがすがしい。なんせ、自分で作った妙なお菓子を人にやるのを惜しがってケチったり、大皿に二切れ残った刺身を子どもに奪われたといって怒ったりするんだからね。大人げないにもほどがある(笑)。


『貧乏サヴァラン』が面白かったので、次は小説『甘い蜜の部屋』を買った。こっちはリアルな文庫本で。金持ちの父親に溺愛されて、生活に何の不自由もなく育ち、生まれながらに男を籠絡せずにおかない魔性の魅力と不思議な香気を持つ女、牟礼藻羅(ムレモイラ)というヒロインの半生記。

甘い蜜の部屋 (ちくま文庫)

甘い蜜の部屋 (ちくま文庫)

 

設定からして多分に自伝的要素が入っているのは間違いないが、モイラにはマリの持つ切れ味の鋭い知性は与えられていない。代わりにモイラに与えられているのは怪物的なまでの性的魅力で、文庫本で500頁以上にもなるこの長編小説はひたすらその描写にあてられている。そんな話、普通は退屈だろうと思うのだけど、全く退屈でないんだよね〜。ひたすら耽美な文章に溺れるしあわせ。どの頁を開けてどの行を読んでも、同じ濃度で綴られている気怠く美しい文章。動詞の手前に読点を多く打つ独特のリズム。そのたびに吐息が聞こえてくるよう。

モイラに溺愛を傾けて来た林作は、この頃の、微妙な孵化をしかけているモイラの肢体に、心の内に目を瞠り、深い感動を、覚えていた。そうして、生きていて動く塑像を眺め、それを愛撫するような、穢れのない、たが熱い、恍惚を覚えている。そこには薄い、微かな、希薄にした酒精のような快楽的なものが、潜んでいる。

 
この小説では、登場人物同士の察しが異様によくて、たとえばモイラが秘密の情事を持つと、周囲の人は表情や肌の艶なんかから、たちどころに正確に事実を察知する。この小説世界では、その動機が愛であれ憎しみであれ、みんながモイラをずっとじっと凝視しているから。本当にむせかえるような「甘い蜜の部屋」。

文体だけでうっとりと酔える、久々の楽しい読書体験だった。