うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

腹腔鏡による子宮全摘手術を受ける

ここ数年、慢性的な腹痛と腰痛、頻発する脳貧血の症状に苦しめられていて、それは年々大きさと数を増す子宮筋腫が主な原因であろうと見定め、春にレギュラー仕事が1本なくなって時間の調整をしやすくなったのを機に、手術をする決心をした。
体調不良というと周囲の人には「はあ?」と返されるに違いないほど私は公的には「元気」だった。無茶な締切も守ったし、フルマラソンも走ったし、酒もよく飲んでいた。しかし慢性疾患というのは、こうした「公」の場面での元気さを維持するために「私」の部分を犠牲にするものなのだ。社交の際のハイテンションはそのままだが、その後のローテンションへの下がりっぷりがひどい。仕事や趣味で張り切った後は必ず鈍痛と倦怠と眩暈がやってくる。だんだんそのスパンが短くなり、復活に時間がかかるようになる。仕事先の人と分かれて電車に乗ると、立っていられなくなって座り込む。部屋は荒れに荒れ、肌も荒れた。要はその落差が慢性病なのだといえるのだろう。ま、老化も多少混じっているかもしれないけどさ。

MRIを撮ると、筋腫は大小合わせて10いくつもできていた。もう出産の予定もないので、子宮を残してあちこちに散らばった筋腫だけを丁寧に取り出す煩雑な手術をする理由はないため、子宮全摘となった。お腹に3か所だけ小さな穴を空ける腹腔鏡の術式でいけるだろうとのことで少し気が楽になった。

しかし、全身麻酔は衝撃だった。手術台に横になり、酸素マスクから匂いの違う気体が出てきたことを鼻腔が感じた瞬間に意識がブラックアウトし、次の瞬間、真上に開けた視界から執刀医の顔が覗き込んでいた。「分かりますか」という声に、分かります、答えた。「手術終わりました」と言われて驚いた。かなりとぼけた顔の執刀医なのだが、この瞬間はめちゃくちゃかっこいいクールガイに見えた。吊り橋効果効き過ぎで笑える。睡眠とは違い、時間の流れを全く関知させない意識消失。しかし、暗闇の中にアクション映画のような幻影がちらついていたことを覚えている。朦朧としながらエレベーターに乗せられる段差を感じ、階下に降りる重力を感じ、病室に帰ると猛烈な寒さと震え、その後に腰と腹の激痛がやってきた。点滴に鎮痛剤を足してもらうと痛みが遠ざかり、不条理ドラマを断片化したような悪夢に似た短い眠りがやってくる。そして、薬が切れると襲いかかるすさまじい腰痛と腹痛。
不運なことに夜の担当の看護師が気が利かない人で(他の人はみんな素晴らしかったのに!)ナースコールを極力押したくなかったが、途中で起きると痛みで眠れず時間が全く過ぎないので夜中に2度助けを呼んで点滴に鎮痛剤を足してもらった。隣のベッドを担当している看護師さんは話し方を聞いてるだけで気が利いてることが分かる。昼の担当の人もすごくよかった。気が利かない人にはこちらも話しかけたくないから、頼み事は仕事のできる人ばかりに集中してしまう。そんなどこの職場にもある、仕事がまだらに分布するメカニズムをここにも見る。
翌朝から食事解禁になったが、朝食はとても食べる気にならず。立ち上がったときはふらふらしたが、昼食からは普通に食べることができた。執刀医の顔も以前のとぼけた感じに戻っていた。
その翌日は院内をウロウロと歩いたり、大量に持ってきた本を少しずつ読んだり、うとうとしたりして過ごした。院内にはボランティア図書館というものがあり、寄贈で集めた文庫本や新書本などを中心に、きれいに分類された古本がボランティアの手によって開架されている。漫画もあったので、「ハチミツとクローバー」を座り込んで読みふけっていたら、立ち上がったときに目の前が暗くなって倒れそうになった。危ない危ない。
車谷長吉の『漂流物』(新潮文庫)があったので、借りた。白髪が美しい上品な老婦人が貸出の手続をしてくれた。「まあ入院中の方? とてもお元気そうに見えるわ」と言われた。入院しててまで「元気そう」と言われている私。ゆっくりとしか動けない今のうちに、せめてゆっくりと動くクセをつけたいな。