うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

車谷長吉『漂流物』

今年5月に亡くなったばかりの車谷長吉の、まだ読んでない短編を7篇収めた文庫本が入院中の病院のボランティア図書館にあったので借りた。言うまでもないけれども面白い。面白くないはずがないのだ、車谷長吉の小説が。
「山手線有楽町駅のプラットフォーム」という日常風景から始まり、いつの間にやら魔の領域へのボーダーを踏み越え、幻想文学の趣を呈する『蟲の息』、同じく虚実が入り交じる『物騒』、幼時の思い出をねっとりとした感情とともに綴る『めっきり』『愚か者』など、いずれも全身の毛穴が広がるような面白さ。

中でも、兵庫在住の身として、読む快楽に満ちていたのが『抜髪』だ。30代も半ばになって、まっとうな社会人コースからドロップアウトし、無一物となって郷里に戻った息子への母の繰り言を語りの形式で綴った一篇で、粘っこい、しかしリズミカルな播州弁が心地よい。車谷長吉兵庫県の西部・播州姫路(兵庫県姫路市)は飾磨の生まれ。兵庫県の中でも播州といえば、住民の気性の荒さで語られることの多い土地柄で、「播州弁」といえば、数々のバリエーションを誇る関西弁の中でもかなりガラの悪い部類に属している。神戸にいるとコアな播州弁に触れる機会は少ないけれども、「アホ」が「ダボ」になったり「腹立つ」が「業沸く(ごうわく)」になったりすると聞けば、その響きの強さが想像できるのではないだろうか。
というわけで、全編播州弁で語られる『抜髪』。母は自分を無教養な田舎者だと自称するが、内容はかなり哲学的で、息子が属するに至ったインテリコミュニティを見る視点も皮肉が効いている。脚色がかなり入っているとはいえ、近しいことを本当に車谷長吉の母が語っていたのだとしたら、彼女が「ひととき」に投稿したという文章を採用しなかった朝日新聞は見識が低いといわざるを得ないだろう。つか、読んでみたいわ、その没原稿。

議論いうたら、インテリの猥談やないか。そなな心地のする声の色やったが。ええ心地のする声やったが。うふふ、言うて。わが身でわが身の自尊心と虚栄心をくすぐって、喜びよう声やったが。ついでに劣等感もなで回して。あれはをなごが男に乳なでてもうて出す声やがな。

ほう。どの人もどの人も、みなええ顔やがな。あの能登の人も男前やがな。ちょっとにが味があって、甘みがあって、深みがあって。あなな顔を深い精神性のある顔、言うんやと。(中略)ほら、能登におったった時は、しょうもない顔やったやろ。けど、東京へ入って、あなな値打ちのある顔になったったんや。あれはもとが掛かっとうで。もとというのは、何も銭やないで。血のにじむ努力をして、私(ワタクシ)は短歌を少々、モーツァルトが好きです、いう顔になったったんやがな。さぞ英語やフランス語のたしなみもあることやろ。そこがあの人のもう一つの拠り所やがな。屁のつっぱりにもならへん拠り所やがな。

言葉ほど恐(オト)ろしいもんは、あらへんで。自分が言うた通りになって、いずれ自分に返って来るで。因果応報やで。人は言葉にまどわされたいんやで。言葉でほめられたら、ころっとだまされて、ええ気持ちになるが。耳の穴へ毒流し込まれようと分っとっても、ええ気持ちになるが。もっと言うて、いう気ィになるが。

 
母から息子へ悪舌は、車谷長吉自身のもう一人の自分の声でもあるのだろう。書きつつも、その耳のそばから常に「書くことのむごさ」が聞こえていたのだろう。

 

 

漂流物 (新潮文庫)

漂流物 (新潮文庫)