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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

生きることへの誠実なエール  梨木香歩『裏庭』

 

こないだ、カフェネスカフェの本棚に置いてあった梨木香歩の『雪と珊瑚と』をお茶を飲みながら途中まで読んで、不覚にも二度ほど涙ぐんでしまい、そのゆるやかな語りが優しくてとてもいいなあと思ったもので、その続きはまたカフェネスカフェで読むとして、何か同じ作者の他のものを読んでみようと本屋で適当に選んだのが新潮文庫版の『裏庭』。

裏庭 (新潮文庫)

裏庭 (新潮文庫)

 


裏表紙には以下のような紹介があって、ふとした冒険を通じて現実と幻想の間をさまよう不思議な体験をした子どもが成長を遂げる……といった甘酸っぱい系のジュブナイル小説だろうと想像して買ったのだが、実際はゴリゴリのファンタジーだった。1995年の第一回児童文学ファンタジー大賞受賞作だそうで。

昔、英国人一家の別荘だった、今では荒れ放題の洋館。高い塀で囲まれた洋館の庭は、近所の子供たちにとって絶好の遊び場だ。その庭に、苦すぎる想い出があり、塀の穴をくぐらなくなって久しい少女、照美は、ある出来事がきっかけとなって、洋館の「秘密」へと入りこみ、声を聞いたーー教えよう、君に、と。少女の孤独な魂は、こうして冒険の旅に出た。少女自身に出会う旅に。

件の洋館は現実と異界をつなぐジャンクションになっており、主人公の13歳の少女・照美はその境界を踏み越えて異世界へと迷い込む。リアルな世界と異世界での出来事がパラレルに進行する小説の形式は、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に似ている。「くろみみず」「地いたち」といった「地下に棲むもの」も「やみくろ」っぽいし。同じような言葉を繰り返す双子の妖精(?)は『鏡の国のアリス』に出てくるトゥイードルダムとドゥイードルディを思わせるし、『不思議の国のアリス』にそっくりな少女が落ちるシーンもある。結界を守る盲目の「おばば」が出てくるとことか、主人公の少女が怒りに包まれて戦うところなんか、脳が勝手にジブリ映画風にビジュアル化するのを止めることができない。私にファンタジーのリテラシーがあまりないため、上記のようなバラバラなソースからやってくるイメージが現れたり消えたりして、統一した世界観を思い描けず、正直読みにくかった(あと、突然地の文に〝神の目線〟が登場するのはファンタジー文法では当たり前なのかなあ〜。慣れないわ)。

がしかし、通読して最も強く感じたのは「人生を生き抜く力をいかに身につけるか」というテーマをめぐる著者の公平さだ。家族、傷と癒やし、生と死、自己の尊厳など、さまざまな重いモチーフがストーリーのあちこちに散りばめらているのだが、弱者を一方的に措定せず、公正かつ前向きに物事を見つめる著者の視線は、多くの読者を励ますエールになるだろうと思った。その中心をなすのは「傷」や「虚栄心」のような歓迎されざる感情やきっかけからでも人は建設的な何かを作ることができるという力強い信念と、ときに暴力的な人間の本性さえも許容する切実な愛だ。

 

「どんな心の傷でも、どんなひどい体験でも、もはやこうなると、それをもっていることは宝になった。なぜなら、それがなければもう自他の区別もつかんようになってしもうたから」

「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」

泣いても、叫んでも、死ぬほどおぞましく思っても、テルミイはもうその服を脱ぐことはできないのだった。

 私は、もう、パパやママの役に立つ必要はないんだ!(中略)
「私は、もう、だれの役にも立たなくていいんだ」

 

もちろん、異世界に冒険の旅に出かける機会などを持つことも叶わない現実の中で、それらを実感として会得するのは、実際にはとても難しいことだけど。