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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

「厭う恋」を燃やした女文豪、樋口一葉『書く女』

作・演出/永井愛、キャスト/黒木華樋口一葉)、平岳大(半井桃水)、朝倉あき(樋口くに)、清水葉月(伊藤夏子)、盛岡光(野々宮菊子)、早瀬恵里奈(半井幸子)、長尾純子(田辺龍子)、橋本淳平田禿木)、兼崎健太郎(川上眉山)、山崎彬(馬場孤蝶)、古河耕史(斎藤緑雨)、木野花(樋口たき)

 

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素晴らしかった! 

樋口一葉に材をとった二兎社『書く女』を兵庫県立芸術文化センターで見た。

今、五千円札の顔になっているのが皮肉なほどに生前はお金の苦労が絶えなかった樋口一葉。彼女にとって小説は何より糊口をしのぐ手段であったが、怒濤のように作品を発表し続けるなかですさまじい文学的な成長を遂げ、しかし肺結核によってわずか24歳の生涯を終える。その半生を、本人の日記などの文献資料を駆使して描き出す永井愛のオリジナル脚本だ。

代表作を次々に完成させた「奇跡の14ヶ月」を中心とした文学者としての成長の軌跡を縦糸に、小説の師である新聞小説家・半井桃水への恋情を横糸にして、紫式部の次に有名な女流作家(!)の人間味と文学性を紡ぎ出してゆく……という内容で、一葉&桃水を演じるのは黒木華平岳大

約3時間の舞台は彼女の人生最後の約5年間をたどるものだが、その間でぐいぐい成長し、方向性が研ぎ澄まされ、最後は創作に鬼気迫る執念を燃やす文学者として昇華してゆく様子が迫力たっぷりに描かれる。ほぼ舞台に出ずっぱりの主演女優の力量が試される舞台なのだけど、さすが若手演技派ナンバーワンの黒木華。もうめちゃくちゃよくて震えた。一葉の中の遠慮がちな部分と、辛辣で不遜な部分、女性的な部分と男性的な部分、博愛的な部分と冷笑的な部分……。自立した個人だからこそ抱えざるをえないさまざまな相反する特性が、時に葛藤をもたらしながらも共存する様子を確固たるリアリティとともに表現してくれたことに強く心打たれた。

2006年には、寺島しのぶ筒井道隆で初演されていて、私はこれも観たのだけど、どちらも甲乙つけがたいキャストだな〜。でも桃水は筒井道隆に一票かな。飄々とした悪気のない人の好さみたいなものが強く表されていたのが個人的にはよりキャラクターにハマっていたような気がするので。「あれは惚れるよな〜」という説得力がすごかったんだよね、筒井道隆の桃水って。それに比べると、平岳大の桃水って、より正体が分かりづらく「悪い男」感が強い。しかし、それゆえに一葉の「不条理な恋」の苦しみがより強調されていたのは再演の方かもしれない。

舞台では、一葉の文壇での評価が高まるにつれ、彼女の周囲には才気あふれる文壇の若手が集うようになり、一葉宅は一種の文学サロン化する様子が描写されている。そこで刺激的な文学談義が交わされる生き生きとした表現はとても魅力的で、ある種の「幸福」が表現されている。そこは本来「一葉がいるべき世界」なのだ。しかし、一葉の心は文壇から軽視されている新聞小説家(有り体に言えば自分より才能のない男)である桃水のそばを離れることはできない。しかし、素直な思いのままに恋を駆動させることもついにない。それを彼女は「厭う恋」と表現する。そして、その「厭う恋」こそが文学的昇華の燃料になったのだ、と永井脚本はいう。さらに、その燃料を燃やし尽くした晩年の一葉は、燃料を自律的に供給する術を得て、さらなる高みを見据えた本物の文学者になりつつあったことも示唆しながら、舞台は閉じられる。

女だって、やりたいことは全部やれ。ただしそうとは言わずにね。

晩年の一葉の最大の理解者だったという斎藤緑雨によると、一葉の作品にはそんなメッセージが込められているという。10年前にこの舞台を見たときも一葉作品をあれこれ読もうとしては挫折してるんだけど、今度こそ読んでみよう。樋口一葉の小説って、読むモードをうまいこと同期させることさえできれば、まるで歌うようにするすると読めるリズミカルな文章なのだけどね。

あ、今回の再演では、効果音がすべて舞台上のピアノの生演奏という趣向。作曲&演奏は林正樹さんだそうです。これも……素晴らしかった!

※写真は、初演と再演のチラシを並べたもの。右が寺島しのぶで左が黒木華

 

www.nitosha.net