うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

無人島に持って行きたい一冊 姫野カオルコ『リアル・シンデレラ』

リアル・シンデレラ (光文社文庫)

リアル・シンデレラ (光文社文庫)

 


久々に読んだ姫野カオルコ、むちゃくちゃよい。

私が姫野カオルコを読んでたのって、いつだろ。ふとしたきっかけでデビュー作の『ひと呼んでミツコ』を読んだのは、まだ娘を産む前だっから、もう10年ちょっと前になるのかな。その「真面目さの奥の痛々しさ」のようなものに心を摑まれた。それは、世に蔓延する不正義が許せない「融通のきかない女」を主人公に据えた常識の斜め上をいくコメディで、「痛快」という形容詞がふさわしい内容ではあるんだけど、その奥の真面目すぎる感じ、融通の効かなすぎて生き辛い感じがだいぶグサグサ刺さって、私はマジ泣きした。

読後、友人にあげてしまったので手元に本がなくてうろ覚えなんだけど、ヒロインが彼氏に心変わりされた悲しみを一人で受け止めて嗚咽するシーンがあったのかな、たぶんあったと思う。誰かを好きになって、相手に好かれると嬉しいし、相手に好かれなければ悲しい。それ自体はごく自然なことであるけれど、恋愛が自立した個人同士の営みである以上、相手の気持ちは何によっても縛ることはできない、縛ってはいけない、自分も縛られたくない、という原則をめちゃくちゃ厳密に自分に課すことで行き場のない悲しみに耐えるシーンが。私はこうしたいわば過剰な真面目さにすごく共感したのだけど、それまでその感覚を明確に言語化したことがなかった。で、この本を読んだことで「いやしくも一個人として人間関係を築くにあたって(恋愛に限らずどんな人間関係であっても)、自分が相手の感情を支配する権利を持つことは絶対にない」と同時に「誰からも自分の感情を支配されるべきではない」とはっきり明瞭に考えるようになった。そして、それは今に至るまで私の行動の大きな部分を支える指針のひとつなのである。

その後、いわゆる処女三部作『ドールハウス』『喪失記』『不倫(レンタル)』を読み、その深刻でより逃げ場のない場所から、次第に自分で自分の人生をコントロールしてゆく方向に成長していくヒロインの姿にも涙した。三部作を通じて、シリアスドラマからコメディへとタッチが変わっていくことにも、大人になるにつれて人生が楽になっていった自分と重なる部分がある気がしてぐっときた。

『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』とか『ブスのくせに!』とか『すっぴんは事件か?』などエッセイも切れ味が鋭くて楽しいのだけど、フィクションとして昇華されていない著者の考え方には、ストレートでは飲み込みにくいものも正直あって、小説ほどには共感できなかった。そして、小説でも『ハルカ・エイティ』にはあまり乗れなくて、それからあまり読まなくなったと記憶する。

で、久々の姫野カオルコ。なんとなく書店の文庫コーナーをうろうろしていて手にした『リアル・シンデレラ』の冒頭数ページ立ち読みしただけで、もう手放せなくなった。帰りの電車の中で読み始めると、涙がどんどん出てきてしまうので、これは人前では読めないと思い、家に着くまで我慢。寝食の優先順位を下げて一気に読む。こ、これは……素晴らしすぎる傑作。確かにそこには私も知ってる姫野カオルコの思想が脈々とあったけど、それが熟成され、まろやかになって、優しく温かくなって、私小説らしさの全くない素晴らしいフィクションとしてそこにある。もう感動しかない。

 前置きがめちゃくちゃ長くなってしまいました。この物語『リアル・シンデレラ』は、1950年(昭和25年)生まれの「倉島泉(せん)」という女性をめぐる物語である。とある編集プロダクションに勤める女性ライターの「筆者」が、社長・矢作から、かつての彼の知人女性・倉島泉についての長編ノンフィクションを書くことを指示される。「筆者」が彼女の身近な人物への取材を重ねるうちに、それらの証言から、徐々に人物像が浮かび上がってきて……。
 タイトルの「リアル・シンデレラ」とはもちろん、倉島泉その人のことである。「シンデレラ」といえば女性の成功譚として世界中で認知されたあまりにも有名な物語だが、実はシンデレラは「幸福」ではないのではないか、という問題意識からスタートし、ならば本当の幸福とは何か、という問に答えるべく、著者は泉の人生を読者に提示する。
 冒頭で社長・矢作が「シンデレラ」について語る言葉には、まさしく私のよく知ってる「姫野カオルコ節」が端的に表れている。私はこれを読んで「懐かしい」と思った。

この人(引用者注・シンデレラ)は継母や連れ子から意地悪をされるけど、彼女たちがしたことと同じ意地悪で下品なことを、この人もやり返すじゃん。ワタシはお城の舞踏会に行くのよ。でもアナタはいけないのよという継母たちの意地悪に対し、ハシバミの精に頼んで自分もいけるようにするというのはやり返しだろ?(中略)
 この人が〈いい〉とか〈すてき〉だと思っていることや望んでいることは、継母とその連れ子と同じわけじゃない?
 つまりこの人の価値観と、継母たちとの価値観は寸分違わないから、エグい合戦ものにしか見えなくてさあ……

  ならば、本当の幸せとは何なのか。華やかな舞踏会、王子様との恋愛や結婚。そんなキラキラした世界に本当の幸せが宿っていないのだとすれば、現代的を生きる個人としての正しい態度は、キラキラした表面に惑わされず、そちらを向かず、そんなものなどないことしにて生きてゆくことなのか? そんな疑問を中空にぽっかり浮かべて、この長い物語が始まるわけだが、このような問いに対するひとつの答えとして著者が示す「倉島泉」のパーソナリティと人生が、本当に意表をついていて、私は心底驚いた。冒頭の「懐かしさ」から離陸したあと、大きく飛翔するその飛翔ぶりに。

この作品は2010年上半期の直木賞の候補になるのだが、残念ながら選にもれ、この時、中島京子の『小さなおうち』が受賞している(私はこの『小さなおうち』も大好き!)のだが、審査員だった宮部みゆきの選評(『オール読物』2010年9月号)が、もう本当に、私のいいたいことを120%表現してくれていて、この選評だけでも泣ける。

 姫野カオルコさんの『リアル・シンデレラ』は、一見、タイトルと惹句どおりの小説に見えます。かつて『プリティ・ウーマン』の映画評で、「みんな、こんな話を本気で素敵だと思っているのか」と書いた姫野さんですから、なおさらです。
 しかし、実はこの作品はそんな小さいものではありません。
(中略)
『リアル・シンデレラ』を、私はキリスト教の「聖人伝」として読みました。
(中略)
 読後、自分のなかに溜まっていた自分ではどうすることもできない澱が、いくばくかでもこの作品によって浄化された気がして、静かに涙しました。姫野さん、支持しきれなくてごめんなさい。でも、この小説を書いてくれてありがとう。本を閉じたとき、多くの読者がそう呟くに違いない秀作です。

 
 他人の欲望を自分の欲望と同一視して生きている人がまだまだ多いこの世の中で、しかも誰もが欲望するものを欲望することが社会的に正しいことだと見なされがちなこの世の中で、自分の心に正直に生きていくことは本当に難しい。ときにモヤモヤしつつ繰り出す妥協や、イライラしながらも酒の力を借りて成し遂げる忘却や、うまく常識にはまれない自分への呪いや、受ける必要のない傷を受けながら浮かべる愛想笑いなど、そんな「澱」の数々が、本当に浄化されるのだ。

 多くの人の証言で、徐々にヒロインの人物像が浮かび上がってくる構成につき、いったん最後まで読んだ後、ヒロインのイメージが固まった状態でもう一度読み返すと、また味わい深くて、新たな発見とともに再び感動できる。そうして何度も何度も読み返したくなる、本当に愛すべき小説。無人島に漂着する際には私、この本を持って行きたいと思います。絶対に忘れることのできない大切な大切な一冊。

 

ひと呼んでミツコ (集英社文庫)
 
ドールハウス (角川文庫)

ドールハウス (角川文庫)

 
喪失記 (角川文庫)

喪失記 (角川文庫)

 

 

レンタル(不倫) (角川文庫)