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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

政治の季節の愛の生活『ドクトル・ジバゴ』

監督:デヴィッド・リーン 脚本:ロバート・ボルト 原作:ボリス・パステルナーク
出演:オマー・シャリフジュリー・クリスティ、ジェラルディン・チャップリンアレック・ギネストム・コートネイ、リタ・トゥシンハム、ロッド・スタイガー、ラルフ・リチャードソン
1965年、アメリカ/イタリア、197分

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3時間20分! 巨匠・デヴィッド・リーンが、帝政から社会主義へ、時代が大きなうねりとともに変化しゆくロシア革命時代を舞台に描く歴史ラブロマンス大作! ……って、なんとなくタイトルは聞いたことあるけど、自分からは決して手を出さないであろう長尺映画を、参加している映画の会の課題作に指定されたということで、iTunesでレンタルして観た。すごくよかった。

ドクトル・ジバゴ(字幕版)

ドクトル・ジバゴ(字幕版)

  • デビット・リーン
  • ドラマ
  • ¥1000

 
ストーリーは結局のところメロドラマで、ピュアで世事に疎いが腕の立つ医者かつ詩人のジバゴを中心に、ジバゴが恋い焦がれる美しい仕立屋の娘・ラーラ、幼い頃からジバゴとともに育ち、長じて献身的で素直な妻となったトーニャ、金と権力を思うままに操って器用に世間を渡るゲスの弁護士・コマロフスキー、狂信的に革命に没頭してゆく活動家・ペーニャなど、さまざまな男女がくっついたり離れたり子どもを作ったりしながら、三角だか四角だか五角だかよくわからない恋愛関係のバランスを変化させてゆく、という、それだけ(!)の話なんだけど、メロドラマの筋を追うだけであればこの映画的にはさほど意味がない。だって惚れた腫れたの部分にあんまり説得力ないし、すごくご都合主義なんですよ、このメロドラマ部分が。なので「キューン♡」とか「ジーン……」みたいな、よくできたラブストーリーで得られるはずの共感と感動は正直ほとんど、いや、まったく得られない。

では何がいいのかというと、まず、画面に映っているものが、ものすごく美しい。冒頭、少年が母の葬儀に列席する場面から物語が始まるのだけど、このシーンで既に瞠目かつ陶酔した。かつては生き生きと血が通っていたのに今は蝋人形のように冷たく棺桶に横たわるの美しい女性。枯れ葉舞うロシアの荒野。孤児となった少年のいたいけな瞳、何もかもを凍りつかせてしまう吹雪、そこだけに鮮やかな色彩が息づく母の形見のバラライカ……。その描写の何もかもが美しすぎる。そのクオリティが3時間以上の長時間にわたって保たれるのだ。

撮影の仕方もおしゃれなんですよ。窓の外からカメラを動かして、音声抜きの室内の人物の動きだけで状況や感情を説明したり、衝撃度の高い事件性のある出来事は、影、窓、鏡などの間接物だけで上品かつ含意的に表現したり。

路上にあふれる群衆や荒野をゆく列車など壮大な風景が広角で捉えられるかと思えば、室内の人物の行動を丁寧に追う。その一方で、時折ジバゴの視点で近視眼的なズームが挿入されるのも魅力的だ。それがまた、ジバゴの人間性をすごくよく表している。医者であり詩人のジバゴは、医術という手に職をつけた「有用な人物」である一方で、ふとした自然の美に心奪われて陶酔してしまうような、まあちょっと天然系の「美に生きる人」でもある。顕微鏡の中の細菌の美しさにうっとりし、窓ガラスに成長する氷の結晶を眺めてため息をつき、環境劣悪な長距離列車の窓から月を愛で、春の野に咲く花に胸をつかまれる。その凝視する視点がそのまま、美しい映像として提示されるのだが、私はこのジバゴの視点に一番共感したな。その「つい美しいものを愛でてしまう感性」の延長線上にラーラへの愛があるわけですが。オマー・シャリフの大きな瞳がまたそのピュアキャラにはまっている。美しいものだけを見てしまう大きな瞳。

そしてもうひとつの大きな魅力は、やはり、恋愛という「小さな物語」を包む「大きな物語」、つまり背景となっている時代の描写の迫力だ。恋愛、仕事、家庭、といった、誰にでもある個人的な営みを、現代進行形で進む既存の社会を根底から覆すような革命が翻弄していく。

ジバゴはラーラとトーニャというふたりの女性の間を行ったり来たりするので、キャラの違うその2人の女性の対比も見どころ。女手ひとつで貴族相手の仕立屋を切り盛りした母に育てられらたラーラに対して、両親から愛されて何不自由なく育った明るくて聡明なトーニャ。憂いを帯びて常に悩んでいるような表情のラーラに対して、太陽のような笑顔で周囲の人を照らすトーニャ。ラーラは無自覚に男を籠絡してしまうビッチキャラなのだけど、その母もそうやって生きてきたのかもしれず、学究の道も志していたであろうラーラが、自らの美貌によってその人生を他者のコントロールに委ねてしまった様子は不憫でもある。

また、激動の時代をいわば自分の手腕で泳ぎ切ったゲスな金持ち男、コマロフスキーが物語の要所要所で登場するのだが、映画的にはたいへん魅力的なキャラ。まだ18歳だったラーラを手込めにした後の名台詞「これは強姦ではない。不純同士の交歓だ」は、誰の心にも永遠に残るであろう……って、締めがそれかよ(笑)。

 

何にせよ、大変面白い映画でした。過去にお金と手間をかけて作られた大作はほんと見る価値があるよな〜。と、観たら思う割に、なかなか食指が動かないのだけど。