うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

エーゲ海に工場あり『牡蠣工場』

監督・撮影・編集:想田和弘 2015年 148分

http://www.kaki-kouba.com/

 

www.youtube.com


映画『牡蠣工場(かきこうば)』を観た。「日本のエーゲ海牛窓を舞台にしたドキュメンタリー、監督いわく「事前のリサーチや打ち合わせ、台本もない。予定調和や先入観を排し、そこで起きることを虚心坦懐に観察し、その結果を映画にするのみ」(公式サイトより)という哲学のもとで作られた〝観察映画〟である。カメラは、瀬戸内ならではの美しく穏やかな多島風景の中で営まれる牡蠣養殖業の現場を淡々と観察する。

しかし「牡蠣工場」とは考えてみれば妙な単語だ。一般的に工場といえば、製造業の製造施設、あるいは加工施設を表す言葉だからだ。事実、ロケが行われているのは「かき作業所」という名称であり、「工場」と呼ばれているわけではない。たとえそれが養殖であるにせよ、海産物を扱う加工場を「工場」と呼ぶことにはなにか違和感がある。しかし、映画を観てみると「ああなるほど」と思わざるを得ない。

まず冒頭、沖合の養殖いかだに船を着け、海中から牡蠣をクレーンで引き上げる場面が映されるのだが、この迫力がすごい。どこか不吉な機械音とともに海中から引き上げられるのは、3階建ての住宅ぐらいの大きさはあろうかという黒々しくごつごつした巨大な塊。すわモンスターかと見まがうばかりのこの物体には、大きな牡蠣がびっしりとついている。この塊を「漁師」がクレーンを操作しながら、船上のゲージにガシャンガシャンと打ち付けて牡蠣を落としていく。それでも落ちないものは、ハンマーみたいな道具で叩き落としていく!! ひえー、養殖の牡蠣ってこんなふうに収穫されてんの! と驚愕。収穫からして重工業の現場みたいな雰囲気なのだ。

その牡蠣は作業所に運ばれ、手作業で殻をむかれ、市場へと運ばれていく。道具を器用に使ってパカッと殻を開くと、身は傷つけないように優しくはがして冷水を入れたバケツへ。殻は刃物のように鋭いので、作業員の皆さんは厚手のゴム手袋で手を防御している。バケツの中のぷくぷくした牡蠣はようやく見慣れた海産物の姿になって、市場へと運ばれていく。こちらの流れも鉄塊から規格通りのスチールパイプを切り出すがごとき作業に見える。まさしく「工場」だ。

それらの映像の合間に「日本のエーゲ海」の名にふさわしい美しく穏やかな海景色がインサートされる。おそらくこの地を訪れた観光客たちは「この美しい海でおいしい牡蠣が育まれます」といった文章が載ったガイドブックなどを片手にこの美しい風景を眺めるのだろう。しかし、その風景からあの現場をリアルに想像することは、なかなかできないはずだ。

映画はこの後、工場を経営する人たち、働く人たち、その家族、その取引先の人などを、特段の意図を交えずに観察してゆき、それぞれの現場で生きる人が持つ、それぞれの魅力に満ちた輝きを映像に収めながら淡々と進む。人手不足の牡蠣工場には、中国から研修生がやってくることになっており、現場は彼らを迎える準備を進める。その周囲では「悪意なき差別心」が発露する発言などもごく当たり前に観察される。そこにとっさに反論する言葉を私は持たない。それはあまりにその人の生活にはりついているものだから。

果たして、作業所にやってきた2人の中国人研修生は、異文化に飛び込んで緊張している様子が痛いほどに伝わってくる。言葉も通じないなか、自分の有用性を早く確認して落ち着こうと、必死で現場を観察する。その不安なまなざしとともに映画は閉じられる。

ま、ジャンル分けするならば、さまざまな現代的な問題が織り込まれた社会派ドキュメンタリーというものなのでしょう。しかし「観察映画」という監督自身がはめた枠の中で、攻撃的な告発性は影をひそめ、問題提起は宙に浮く。観ていて楽しいかといわれるとあまり楽しくないし、2時間半という上映時間はいかんせん長い。正直いうと後半はけっこう退屈した。しかし、こうしたタイプの映像作品は現在よりも未来に価値を持つものなのかもしれないし、私も観客として感じた違和感や驚きを無理に結論づけずにしばらく観察し続けるのが正しい態度というものなのだろう。エンターテイメント性は低いけれど、観てよかったな、とは思った映画。