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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

子宮筋腫の手術から10か月経っての雑感

自分 雑記

そう、昨年6月末に内視鏡で子宮(とついでに卵管)を摘出する手術を受けたんだった。

術後3か月は気分も沈んでいたし体調も本調子ではなく思うように体が動かせなかったけど(というより体調が本調子でなかったので結果的に気分が沈んでいた)、体力が戻るとともに、意味不明な腹痛や脳貧血症状から解放された恩恵の方が勝ってきて精神的にも上向きになり、11月下旬には神戸マラソンをなんとか完走できたことで「回復したな〜」と思うことができた。3月の名古屋マラソンでは自己ベストも出たし、去年の春に激減した仕事も、この春ぐらいから量としては取り戻せており(質としては微妙)、加齢とルーティーン仕事の気の緩みよるものと思われる集中力の低下はいかんともしがたいけれど、なんとか残り半分の40代を充実したものにするためにがんばろうという気にはなっている。

で、これは手術をするときにはあまり考えてなかったんだけど、子宮を取るというのは、思っていたより格段に爽快なことだった。もともと子宮摘出に関しての葛藤みたいなものは全然なかったんだけど、生理がなくなる気楽さものすごい。月の4分の1を不随意な出血および体調不良とともに過ごさなければならないって本当に不便なことだったなあと改めて感じている。筋腫や内膜症のせいだと思うけど、年をとるごとに生理が重くなっていて痛みも出血量も増える一方だったからなおさらだ。

私は昔から粗忽な人だったので、初潮以来の約30年間でどれだけ服や椅子に血をこぼして恥ずかしい思いをしたかというと、これもう数え切れないほどなのだ。あわてて出先で着替え用の服を買ったことも一度や二度ではない。だいたい去年の名古屋マラソンがばっちり生理の最中で、黒いウェアだったからあまり周囲にバレてなかったとは思うけどゴール時は下半身血まみれだったうえに過呼吸になり、今もランニングシューズの血痕を見るたびにそのしんどさが甦る。家にあるパジャマやシーツにはもれなく落としきれない血のシミが残ってるしさ。いい大人だというのにこうした「粗相」をするっていうのはね、ほんまイヤなもんですよ。自己嫌悪感募りまくり。いや、そりゃ雑すぎる私が悪いんですよ。ですけどね、それにしたって、ケガしたわけでもないのに体から勝手にだらだら血が流れてくるなんてさ、やっぱひどすぎる仕打ちじゃないの、神様。その間ずっと体調不良なわけだしさ。

かさばる生理用品を定期的に買ってストックしておかなくてはいけないのもストレスだったし、もともとあたし、トイレという場所がものすごく嫌いなのだ。まあ「トイレ大好き」って人あまりいないと思うけど、小学生のころからの「連れション文化」や「トイレで雑談文化」がいやすぎて、あと「トイレに並ぶ」ということの滑稽さに耐えられなくて、特に学校のトイレを敬遠しているうちに、外出中にほとんどトイレにいかなくても持つ体になった。というわけで、中学のトイレを使ったのって、たぶん3年間で10回に満たない。もちろんそれは体に悪いということは承知しているので今年の年頭なんて「健康のためにこまめにトイレに行く」という目標をわざわざ掲げて墨書したぐらいだよ(なので今年はまあまあトイレに行ってる)。生理中は、そんだけ嫌いなトイレにしょっちゅう行かないといけないわけで、もうそれだけでイライラする。

だいたい女の体は粗忽な人間には扱いにくい。胸がだんだん大きくなってきたときも、その大きさに慣れていなかったので、よくブラジャーつけるの忘れて学校に行った。授業を受けるぐらいなら何の問題もないけど、体育があったりすると揺れたりして困るんだよまじで。いつから自分はそれなりの装備がなければ好きなように飛んだり跳ねたりすらできない体になったんだと思うとなんともいえないみじめな気持ちになった。なのに道行く見知らぬおっさんとかはやたらと体をジロジロ見てくるしさ。ほんまになんで世のおっさんは女の体がそこにあれば、それが当たり前とばかりに無遠慮にジロジロ見るんすかね。男性はあまり気づいてないかもしれないけど、ほんまに上から下までなめるように女を見るおっさんめっちゃ多い。「知らん人にジロジロ見られること」と「自分が自由に飛んだり跳ねたりできないこと」は、どっちもすごい理不尽な感じがした。自分の体だというのに誰のものかわからない。

あたし、女の集団が面倒くさいとか、女の友情はややこしいとか、これまでの人生でほとんど思ったことないけど(男の集団の方がたいていずっとややこしい)、女の体はほんとにほんとに面倒くさいと思う。そういえば、10年ぐらい前に大阪であった「クイア映画祭」で、トランスジェンダーの監督が壇上で「乳房除去手術を受けた」という話とともにその場でぴょんぴょんジャンプしてくれたことがあったのだが、それを見て、ものすごくうらやましくて涙が出たことを思い出す。あたしもぴょんぴょん跳びたい。ぴょんぴょん跳びたいねん。

かといって、やわらかい乳房だの、くびれたウエストだの、すべすべした肌だのという女の体の特徴が嫌いなわけではないし、そこに自意識的な違和感があるわけではない私には、積極的に乳房を切除する動機も必然性もなかったわけで、あくまで外から見ている限りの漠然とした羨ましさを感じる程度だったのだけど、今回子宮を切除したことで、あの時感じたうらやましさのもとを少〜し実現できたような気がして、今、とても嬉しい。生理がなくなることで格段に体の自由度が増したから。

ところで手術前、周囲には「子宮筋腫の手術をする」とだけいっていたので、術後「全摘した」と伝えると、筋腫だけの核出を想像していたらしい2人の女性から「可哀相」と言われた。筋腫の核出だったら可哀相じゃないのに全摘だったら可哀相と思われるのは奇妙なことだと思ったけど(手術としては断然核出の方が面倒だと思うし)、まあその真意は「女性性の喪失が云々」というあたりにあることは明白で、やっぱり現代でもそういうことを言われたりするんだというのが新鮮に感じて、なぜか少し誇らしい気分になったりもした。

 

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