読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

うんこまみれで生きる 伊藤比呂美『犬心』

f:id:moving-too-much:20160507173348j:plain

 

伊藤比呂美の文章はなんでこんなに心を揺さぶるのでしょうか。

在米の詩人である著者が、熊本に暮らす老親の介護と看取り、それに重なる老犬の介護と看取りに奔走する1年あまりの日々を描いたこの本ももちろん例外ではない。本に登場する犬たちは、それぞれがともに暮らす人間をじっと見つめ、慕い、服従し、喜び、甘え、愛し、愛され、時に媚び、働き、遊び、食べて、排泄する。半分は動物としての本能によって、半分は人間の馴致によって育まれた犬特有の行動原理を、著者は「犬心」と名付け、その動き一つひとつを丁寧に追って慈しむ。とはいえ、犬たちはただ生きて老い、やがて死ぬだけなのだけど、犬に向き合う人間はいちいち決断や逡巡や悟りに直面せざるを得ず、それらを通じて人生の機微をもあぶり出されてゆく。

それにしても、ジャーマンシェパードのタケを中心に、パピヨンのニコとルイ、ウロコインコのぴーちゃんまで加わった暮らしはハタから見ていてもなんとも賑やかに過ぎるし、老犬にかかる介護の手間も尋常ではない。加齢が進めば病気やケガのネタに事欠かないのは人間も犬も同じで、いちいち治療しようと思えばお金もたっぷりかかる。それでなくてもペットの世話って食と排泄の世話がメインであるというのに、老犬は老いるにつれて食事も排泄も不随意になるから、時間が経つにつれて著者の家も車も、読者が向き合うこの物語の中も、排泄物の臭いに満ちてゆく。どっちにしろ、こんなに「うんこ」「うんこ」と連呼する本、読んだことないわ。でもまさに、犬だって人間だって、生きるとは「うんこ」「うんこ」の連続なんだよな。

この本を読み始めた誰もが想像する通り、タケは本の最後に死ぬ。遠くに行ってしまうに至る描写のリアルさ、丁寧さ、細かさに泣くし、その後日譚にも泣く。私は情が薄いので、決して犬など飼ったりしないけれど。

ところで、よい天気の土曜日に、この本を外に持ち出して読んでいた。海、というか運河に面した広い公園である。犬を連れた熟年夫婦が前を通りかかったので、本から目を上げてそちらを見ていると、ある場所に来ると犬は突然前に進むのを嫌がり、しまいにはしゃがんで抵抗し始め、一歩たりとも動かなくなった。飼い主夫妻がリードをひっぱったり、なだめたり、説得したりするも動かない。やがて苦笑し、諦めたように男性の方が抱きかかえて連れて行った。犬は振り返ってこっちを見ていたけれど、特に抵抗することなく抱かれたままになっていた。可愛い犬だった。ずっと名残惜しそうに後ろを見ていたけれど、抱かれているのも幸せそうに見えた。あの犬は雌で、飼い主に恋していたのかもしれない。つよくて美しい人間の雄によく恋をした雌犬のタケのように。

 

f:id:moving-too-much:20160507174002j:plain

f:id:moving-too-much:20160507174302j:plain