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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

超個人的な長いぐちゃぐちゃ。『ひと夏のファンタジア』

映画

奈良県五條市、というのは私の出身地で、今も実家はそこにある。


紀伊半島のだいたいまんなかあたりに位置し、海なし県・奈良県の中でも特に海から遠い。私は高校卒業までしか住んでいなかったけど、「市」とはいってもずーっと人口3万人台。平成17年に隣接する西吉野村と大塔村を吸収して面積が3倍以上に広がった(市として県内一の大きさ)ときも人口は約35,000人から40,000人と2割も増えなかったそうで、その人口もそれから漸減を続けて、今や合併前より少ない32,000人になっている。

資料を見ずに書くけど、「五條」っていうぐらいだからとにかく交通の要所として発展したまちだったに違いなく、紀州方面、伊勢方面などへ向かう街道がとにかく5本ぐらい交わっていて、そこを中心に発展した歴史があるのでしょう。あるはずだ。紀州の殿様の大名行列が通ったという道の一部には江戸期の古い町並みが残っており「新町通」と呼ばれる界隈が、2010年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

奈良の五條と聞くと、平城京に関係のある地名かと思う人は多いようだが、奈良といっても奈良市よりうんと南で、和歌山県と県境を接している。なんで、京都の「五条」とは全然違う。字も違うし。とかいいつ、実はJRの駅名は「五条駅」で、ぎょうにんべんのない「条」の字が使われている。警察署もかつては「五条警察署」だった。正式な市名は「五條」のはずなのに、適当すぎる。しかし住民も気にせずどっちの字も使っていた。私は子どものころに「そもそもどっちが正解なのか」と先生だったか市役所の人だったかに訊ねたことがあるが、あっさり「どっちも正解」といわれた。それ以降、そもそも日本の漢字なんて全部当て字なんだし、読めりゃなんでもええわ、と思うようになった。これは本当にひとつの見識だと思う。そもそも日本語表記っていい加減なものなのだ。「御状」とか「五乗」でもいいねん、たぶん。

市の中心部は一応奈良盆地に含まれるらしいのだけど、五條から他のまちに出ようとすれば、東西南北どの方向を目指すにしろ峠を越える必要があった。私が通っていた小学校は高台にあるので、屏風のようにぐるりと四方を山々が囲むまちの全景がきれいに見渡せる。その真ん中には吉野川(紀ノ川の奈良県域側の名称)がゆったりと流れている。それはとても美しい風景だ。しかし、子どもの頃の私には、それらの山々が自分の周囲に張り巡らされた柵に見え、眺めるたびに憂鬱な気分になった。山々の稜線は実質的な「私の世界の果て」だった。

前置きが長くなったが、『ひと夏のファンタジア』は、その私の故郷・五條で撮影された映画だ。奈良県出身の映画監督・河瀬直美さんがディレクターを務める「なら国際映画祭」が若手の映画監督を招いて奈良を舞台とした映画を製作するプロジェクト「NARAtive(ナラティブ)」から生まれた作品だそうで、監督は韓国のチャン・ゴンジェ。撮影は2013年夏。2014年にまず韓国で公開されている。

nara-iff.jp
また脇道にそれるけれど、私はあまり河瀬直美監督が好きではない。思えばカンヌで賞をとった河瀬監督の出世作萌の朱雀』は、現五條市、旧西吉野村を舞台に撮影されたものだが、一度しか観ていず記憶が定かでないのにこういうことをいうのもなんだし、今となってはどこがそんなに気にくわなかったのか自分でも分からないのだけど、見終わった後ものすごく不愉快な気分になって、というか腹を立てていて、特に村の老人たちの笑顔をばーっと並べるようなエンディングの不愉快度がMAXで、ほとんどビデオを投げつけんばかりになったことを覚えている。フィルムの中の風景が身近な見知ったものだったからこそ、全編に漂う「あざとい演出」みたいなものが耐えられない、と思った。でも今観たら全然感想が違うかもしれない。で、逆に好きになってるかもしれない。わかんないけど。嫌いは好きの一種ともいうしな。まあ、どうしても観たいという気が起きないんだけど……。

で、この『ひと夏のファンタジア』の予告編を見たところ、映画の全貌が見えない編集だし、思わせぶりな感じが『萌の朱雀』を観たときのイヤな感じにちょっとかぶって「うわー、嫌いなやつかもしれん」と正直思った。けれど、たまたま今日知って、今日検索したら、まさにいま大阪で公開していることが分かって、しかも1日1回の上映が今から間に合う時間だし、これは観るしかあるまいと思い、大阪・九条はシネ・ヌーヴォに向かったのであった(われながらほんまに前置きが長いな)。

で、結果は大変面白かった。

構成はやや奇妙だ。
全体が第1章、第2章に分かれているのだが、第1章は「五條でロケハンをする映画監督」の姿を描くドキュメンタリー風のモノクロ、第2章は「五條をひとりで旅する韓国人女性と現地日本人男性のふれあいを描く淡いラブストーリー」である。こちらはカラー。

ふたつのパートに直接的な関連はないのだが、ロケ地がいくつかかぶっていることと、前半に出てくるエピソードやシーンのいくつかが後半のおはなしにリンクしていることでゆるくつながっている。前半に出てくる映画監督が後半部分の映画を撮った、というように見えなくもないが、そう考えるには無理のある要素もいくつかある。また前半は、どこまで演技をつけたのかしらないけれど、明らかに俳優でない現地の人をそのまま喋らせている映像はドキュメンタリー風だ。しかしそこには奇妙な陥穽がある。時間が流れるにつれて「リアル」が「ファンタジー」に侵食されていき、最後には少し時空が歪まされている。

第2章は、土地の青年・武田(岩瀬亮)が、韓国人女性・へジョン(キム・セビョク)を観光案内する2日間の様子を描いたもので、こちらの方が普通の意味でのフィクションなのだけど、言葉がスムーズに通じないということもあり、会話やコミュニケーションはたどたどしい。そして、そのたどたどしさが、初対面の男女の距離を縮める過程の表現として、ものすごくリアルである。その分、退屈でもあるんだけど。パンフレットに、作家の長嶋有さんが「恋愛映画というよりも、生々しい『口説きドキュメント映画』、おずおずぶりにドキドキする」というコメントを寄せているが、ほんまそれ。

 

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予告編を見たときは、その第1章とやらはムダなんじゃないか、と思っていたのだけど、これがよかった。でもわかんない。これが面白かったのは、ここに映っているのが私の故郷だからじゃないのか。あのおじいちゃん、あのおばあちゃん、あのおっちゃん。一人ひとりは直接知らないけど、皆が皆、ほんまに自分自身が鬱々とした少女時代を過ごしたあのまちで、いやというほど見慣れた顔つき、話し方、ふるまいだったから。

言葉が通じない外国人に「家あけてんか」といきなり話しかけておいてから、言葉が通じないことにしばらく気づかずに、大丈夫、というような風情で自分の写真を撮らせ、その後おもむろに恥じらいを見せる、というような芸当を、他の土地のおばあちゃんもするのだろうか。自分の暮らす土地のことを外国人の映画監督にインタビューされるという非日常に接した老女が「ここは最高」なんていう明らかに「盛った」言葉を遠くを見ながら語るなんてことが、東北あたりの田舎町でも起こるというのだろうか。否、といおう。あれは明らかに紀伊山地土着のものなのである。その「リアル」をどこまで作為的に撮ったのか、ということは本日購入してきた映画パンフレットに書かれているのだが、その作為にはほんとに感心した。私は第1章に出てきた2人目の案内人はほんまに土地の人間だと信じて見ていたので。でもそれにしちゃ、老女の頭をなでる仕草がちょっとエロいのが不自然だと思ったんだけど。あれはちょっと、時空が歪んだ瞬間でしたね。まあ、見てない人には何ゆってるのやら、という感じだと思いますが。

自分の知った土地が映っているという意味では、高校時代に受験勉強した図書館(裏でよく煙草吸った)、その近所のカフェバー的な「パームス」(勉強中にランチに行った)、美人ママの名を冠した喫茶店「樹里」(当時から美人やった。いちごパフェ好きやった。選べるモーニングも好きやった)とかさ……。常に「どこにもつながっていない」という気持ちが通底していたティーンネイジャーのころ、精神的柵内で暮らしていたどんよりとした青春時代の思い出が積もった超個人的な場所が、スクリーンに映っているというその不思議さね。あと、うちの母は大塔村の出なので、五條から168号線で山の方に向かう道も、山の斜面に張りつくような田舎の家々の風景にもリアルな思い出があり、「篠原パート」もかなり親しみを持って観たということを付け加えておこう。でも、もうちょっと引きの風景がどっかに欲しかったところだけどな。

もっとうまく感想書きたかったけど、めちゃくちゃになってしまった。
感銘を受けはしたけど、その感銘がすごく個人的なものだったから仕方ない。ほかにもいくつかいいたいことはあるのだけど、とりあえず見た日の感想として、ぐちゃぐちゃなまま出しておこう。で、よく泣く私としては、第1章で1回泣いた。ごく個人的に。

ところで、下の写真はロケ地になっていた新町の山田旅館の窓。この映画の撮影の前年の2012年に、中学時代の恩師に案内してもらい、新町通りに面した客室の窓を撮らせてもらったものです。

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