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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

選択することの痛みと輝き『ブルックリン』

映画

TOHOシネマズ西宮OSで『ブルックリン』を観た。ちょっと前。いや、だいぶ前。

参加している映画の会の課題作だったので観たのだけど、公式サイトで予告編を観てみると、すっげー「なんだかなー」って感じでテンションがだだ下がりに下がった。

www.foxmovies-jp.com
なんか、ピュアな心を持つ女の子がアイルランドの田舎町からニューヨークに出て行って、ちょっと嫌なやつにいじめられたり仕事がうまくいかなかったりして苦労するけど、まっすぐな心(?)と努力(?)でそれらを乗り越え、都会の水に磨かれてええ女になって、彼氏もできちゃって、順風満帆と思われたそのとき、なんかわからんトラブルが起こって故郷に帰ったところ、なんだかんだあって故郷と新天地のあいだで引き裂かれちゃってあたしどうしたらいいの……みたいな、安易かつ地味なストーリーを思わせる映像の中に「愛が見えないまちで、私は未来を探していた」「アメリカに来なければ…」「2つの故郷」「わたしの生きる場所はどこ?」なんて少女漫画のようなコピーが重ねられていく。

なんだよ、しょーもねーな。そんな「ケーキにする? それともアイスクリーム?」みたいな贅沢かつしょうもない選択で苦悩したような顔すんな。はいはい、悩みに悩んだ挙げ句、ええ子ちゃん全開の選択してしゃんしゃんめでたしめでたし、ってやつなんでしょ。よござんした。

……って思うやん! 普通、そう思うよね、あの予告編!! 「鼻白む」という言葉をまるまる体現したような表情をして予告編をみましたよ、あたしは。

しかし、実際にスクリーンで本編を観たらめっちゃよかった。開始15分からずーっと泣いてたごめん。上のような要約もまあ、ストーリーとしては間違ってないけど……いや、決定的に間違ってる。映画本編で描かれていたのは、予告編で示唆されていたような「ヒロインが何かを乗り越えて幸せになる」という「物語」ではなく、「人生を自分で踏み出す瞬間」の「美」なのだから。だからいくらストーリーを圧縮しても何も予告していることにならない。それに「愛が見えないまちで」とか、端的に間違ってる。ヒロインが移住したブルックリンには愛がいっぱいあったもん、最初から。

 

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映画の会のメンバーも指摘していたけど、ヒロインの選択は特に崇高でもなければ道徳的でもなく凡庸だ。けれど、ある程度の年齢を重ねてきた人ならみな、あのときあの選択をしたから今の自分がある、と思えるターニングポイントの記憶がいくつかあるだろう。わたしにもある。すげーしょーもないことばかりだけど、あの「高揚」が、あの「チャレンジ」が、あの「変節」が、この選択により生じる苦労は引き受ける覚悟で、主語を「I」にして強い意志のもとで下した決断が、確かに今につながっている分岐路だったのだ。選択した内容が他人からみて凡庸だったとしても、くだらなかったとしても、だれかを傷つけたりがっかりさせたとしても、それでもやはりその選択をせざるを得なかったという痛みと高揚感をともなう経験が。その瞬間は、客観的な価値とは別にやはりキラキラしていて、ああ、自分もかつて「これから一つひとつ何かを選んでいく、ひいてはそれが私の人生なのだ」とささやかに未来を展望したものだと温かく思い出す。まあ、人生とは選択にともなうキラキラ感を少しずつすり減らしながら、ひとつ選択するたびに未来の可能性が狭まっていくさまを、いくばくかの安心と失望とともに眺めていくその道程なのですがね。

 

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いや、それにしても選択途上の若さというのはいいもんだなあ。なにかしら自分に付加価値がついた瞬間、人生のステージがカチッと上昇したり、ちょっとそれた脇道がそのまま自分のメインストリートになったり。めちゃくちゃドラマチックなストーリーというわけでなく、主人公が英雄というわけでもなく、でもかけがえのない美しさを感じるのは、そうした市井の人生の美が丁寧に描かれているからだと思う。

なんといってもこの映画の大きな美点は、登場人物にリアリティがあること。たとえば、ヒロインの背中を全力で押してくれる優しい姉。その姉は映画の前半部分では、ヒロインに都合がいいだけの自己犠牲的な存在にも見えるのだけれど、彼女は彼女で、人生のどこかの時点で自分で責任を持って決断をくだし、自らの意志で生き、そればかりか楽しみ、多くの人に愛されたことが後半になると徐々に見えてくる。また、冒頭からものすごくイヤなオーラを振りまく女商店主。彼女にしたところでもちろん悪の権化100%の存在ではなく、そうなるに至った背景が垣間見えるのが面白い。

そのリアリティは、その他の登場人物、ヒロインの女友達にも、母親にも、寮で出会った女性たちにも。船で袖ふれあっただけの登場人物にも等しく与えられている。ヒロインも、自分の思いを説明的なセリフや大仰な表情で語らないところがいい。だってそんなのいちいち言葉にしないもんね、現実では。

脚本もご都合主義的なところが少なくて展開に納得感がある。「すぐ帰るから」「今はそんなこという状況じゃないから」「向こうもそんなつもりじゃないだろうから」と、最初にタイミングを逃したばかりにずるずると秘密が広がっていくあの感じとか。流されやすいあたしなんか、いかにもこういう行動とりそうで身につまされた(笑)。

ファッションの可愛らしさとか、その色彩の使い方にもヒロインの心理のメタファーとしてのいろんな含意がありそうだとか、1950年代の移民の状況とか、カルチャーとか、丁寧な描き方ゆえに何度か見ると別の楽しみ方がいろいろと見つかりそう。

でもまあなんしかあたしにとっては、自分がまだ人生にいろいろな可能性を残していた頃のみずみずしくてヒリヒリした感じを思い出させてくれたとても素敵な映画だった。とてもよかった。

完全に余談だけど「簿記」と「Bookkeeping」がそっくりすぎるじゃねーかと思ったら、福沢諭吉大先生が編み出した翻訳語なんですってね。さすが諭吉さま。素晴らしいお仕事。

 

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