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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

妄想男とスピリチュアル女の珍道中 『アンナとアントワーヌ』

[監督・原案・脚本]クロード・ルルーシュ [音楽]フランシス・レイ [出演]ジャン・デュジャルダン、エルザ・ジルベルスタイン、クリストファー・ランバート、アリス・ポル
2015年・フランス・115分

 

ルルーシュ監督好きなんです。
ダバダバダ……のけだるい音楽の目くらましで大人のおしゃれなラブストーリーを偽装しつつ、自分のフェチを思いっきり出して観客を戸惑わせる面白映画『男と女』、自分の現実の妻をヒロインに据え、その美しさと魅力をあらゆる手段で観客にごり押ししながら泣かせにかかる『しあわせ』、ラヴェルボレロの響きに乗せて美しいシーンを重ねながら似たような顔の3組のカップルを2代にわたって追いかけた大河ドラマ『愛と哀しみのボレロ』……。
あとは観てないけど、なんしか全部好き。

 

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anna-movie.jp
そんな愛の詩人、ルルーシュ監督の最新作が今年公開されました。『アンヌとアントワーヌ』。
原題は『un+une』。フランスの冠詞の男性形と女性形を組み合わせたタイトルは、つまり「男と女」。自身の代表作『男と女』(Un homme et une femme)に対する50年ぶりのファイナルアンサー! ですよ。観るしかない。

タイトル通り、セルフパロディ的な趣きもある本作、微妙に男が魅力的に見えないところが『男と女』を踏襲している。相変わらず、女をきれいに撮るのと同じだけのエネルギーを男を魅力的に撮ることにはかけていない。車の走行シーンで「事故でも起こすんじゃないか」とハラハラさせるような描写がムダに続くところも同じ。ルルーシュ監督、変わってませんね。ま、今回はいっこ事故シーンあったけど。リアルとフェイクが混じり合うところで。

もちろん変わったところもあります。最も大きいのは、恋愛を俯瞰するというか、外部から対象化する仕掛けが施されていること。恋愛当事者以外に超重要な人物が登場するのです。それはインドの聖人・アンマ。抱きしめて人を癒やすひと。タイトルを『アンナとアントワーヌとアンマ』にしたほうがいいんじゃ、というぐらい想定外の「アンマ映画」で、これにはびっくりしたな。男と女に、性を超越した存在を並べることによりエロスとタナトスを融合させたといった趣き。これも監督が加齢したからこそなのかもしれない。

                ★ ★ ★ ★

というわけで、これ以降はネタバレ全開でいかせていただきます。ストーリーを要約しましょう。インドを舞台にした(エキゾチック!)、妄想男とスピリチュアル女の恋の珍道中が、アンマの抱擁でクライマックスを迎えるヒューマンラブストーリーでございます。って、よくわかりませんが。

しかし、スクリーンにまず登場する男女はアンナとアントワーヌではなく、別の運命の出会いを果たす若いインド人男女です。そして、その次に、このカップルをモチーフに映画を撮影しようとする初老の映画監督が現れる。天地創造みたいです。映画を入れ子構造にした映画なんですね。

われらがヒーロー、アントワーヌは、この監督から音楽監修のオファーを受けてインドへやってくるフランス人作曲家で、ヒロイン、アンナは、彼を歓待するために開催された晩餐会のホスト役である在印フランス大使の妻であります。アントワーヌがインドに着いた夜、アンナは晩餐会の主賓であるアントワーヌの隣に座ってもてなします。そして、社交トークで盛り上がる。とはいえ、口を開けばふわふわしたスピリチュアルなことを口走るアンナと、厭世的な雰囲気を漂わせる芸術系モテ男のアントワーヌの会話はかみ合っておらず、とても気が合っているようには見えません。冷静にみて「なんじゃこの女」って感じです。しかし、その後ふたりは意外にも距離を縮め、やがて禁断の恋愛が転がっていく。しかしこのラブストーリーがどうも変なんですね。何がって、ふたりが惹かれ合う必然性がまるでないのです。

アントワーヌにはピアニストの彼女がいて結婚を迫られているのだけれど、モテ男だというのに、なにか実存の不安みたいなものに取り憑かれていて(モテ男だからかもしれないけど)、それをのらくらとかわしています。結婚するのがイヤなら別れちゃえばいいのにそうもできずに「オレこのまま結婚してまうのか…」という不安が頭痛というかたちで顕在化して彼を苦しめています。見た目とギャップのあるダメさと弱さ。そこはかとなく中2感が漂います。彼には異国インドから仕事のオファーがあったのをいいことに、結婚を迫る彼女から逃げてきたような節もあるのです。

一方、アンナは、フランス大使夫人という立場でインド生活を何不自由なく楽しめる特権階級です。しかし要職の夫人として公務を果たさなきゃいけないような地位の「プロ夫人」にしては無防備すぎるその振る舞いは、天然というか、ちょっとアホに見える。また、彼女は夫との間に子どもを望んでいるのですが、演じるエルザ・ジルベルスタインの実年齢は47歳。役柄もまあそんなぐらいの年回りに見えるので、その設定にもちょっと違和感を感じます。

そんなふたりが、若い美人の恋人と、地位の高い優しい夫をそれぞれ振り切ってまでくっつく必要は、どう考えてもない。ええ、「必要・不必要の問題じゃない」「恋に落ちてしまったら仕方ない」というのも分かります。でも二人は恋に落ちるわけでもないんですよ。
アントワーヌという妄想男は、晩餐会でアンナと意味不明なおしゃべりをした夜、そのうるさいアンナが自分の部屋を訪ねてきて熱烈に迫ってくるという「夢」を見ます。彼は、晩餐会で熱心に自分に話しかけてくる彼女は「きっと自分に気があるはずだ」と潜在意識の中で確信していたのでしょう。その自信がが生んだ妄想です。するとどうでしょう。翌日また彼女に再会してみると、昨夜と変わらぬくだらないスピリチュアル話が、まるで自分へ熱烈に恋を語っているかのように思えてくるではないですか。アンナはそりゃ、熱心に自分の話を聞いてくれる音楽家のことを「ちょっとかっこいいなー」ぐらいには思っていたでしょうが、それはそれ。この時点で彼女の方からこの男に惚れたりは絶対にしていません。

なのにあなた! 「夫との子どもを妊娠したいから、ガンジス川で身を清めるスピリチュアルな巡礼旅行に出る」といって旅に出たアンナの後を、こともあろうにアントワーヌは追うのですよ!!!!

はあああああ!!!!!!!!?

ちょうびっくりした。

アントワーヌはインド常に頭痛に苦しめられています。それは、恋人との将来を考えるという重い問題から逃げようというストレスからきていることは疑問の余地がありません。そして、目の前には自分に好意を持つ人妻アンナがいる。彼は現実から逃げたいがために、反射的にアンナを巻き添えにしたにすぎません。それを証拠に、このアントワーヌ氏は、どう考えても自分が勝手に追いかけてきたくせに、旅の途中でアンナに「そっちから自分を誘ってきた」「さっきも川でセクシーなポーズして自分を誘惑した」なんていいやがるんですよ。は? まったく何をいっているのかわかりません。挙げ句の果てには「君は夫のことを忘れかけている」なんて言ってアンナを非難します……。ぜんぶあんたのせいやがな!!

アンナはアンナで、仕事を投げ打って自分を追いかけてきたはずの男がいまいち自分に夢中っぽさを見せないことに混乱し、傷つき、涙を流します。海よりも深い男女のディスコミニュケーション。香ばしい……。

でもその不条理感、アホっぽさ、くだらなさが面白いのです。実際、人が人に惹かれるとか、圧倒的にそんなもんなんじゃないですか。単なる自己愛だったり、愛され願望だったり、コンプレックスの裏返しだったり、逃避だったり。思えば『男と女』もそんなだった。でも2人が若くて、互いに配偶者を亡くしていて、しかも女が超のつく美人だったから、なんとなくロマンチックラブ派も力づくで説得できてただけ。

しかしここからちょっと趣が変わります。
ふたりはついに、色々な人を抱きしめて癒やす聖人「アンマ」のもとを訪ねるのです。すべてを赦し受け入れるアンマの豊かな胸に優しく抱かれる女、そして男。なんとなく性愛を超えた人類愛を感じて多幸感に包まれたふたりはその夜、ついにホテルでベッドをともにしてしまいます。しかしその同じ夜、ふたりの仲を心配したアントワーヌの恋人とアンナの夫は眠れぬ夜を過ごしていました。そして何度電話をかけても互いのパートナーに連絡がつかない事実から、ふたりの間に起きたロマンスを確信してしまうのです。そこからおきまりの修羅場となり、ふたりの愛もジ・エンド。

……となるはずが、その続きがあるんですねー。あの日から4年。インド映画が出世作となったアントワーヌは4年前よりも知名度が上がっています。今日も海外でひと仕事を終えて戻ってきたパリの空港で、「だめよアントワーヌ、下りなさい!」といたずらしている男子をたしなめる声がするので振り返ってみると、なつかしのアンナが自分と同じ名の男児の手を引いているではありませんか!

アンマ効果で、1回のセックスで子どもを授かっていたのですね。めでたしめでたし。
……といいたいところですけど、確かあの翌日、ふたりはセックスが不首尾に終わったと話してませんでしたっけ? してましたよね。なんかうまくできなかったとかなんとか。うん? え? なんなのこれ。とエンディングロールを見ながら大きな疑問符。これはあなた、聖人アンマが受胎の奇跡を起こしたオカルト映画ってことでよろしいか?

非常にダラダラとストーリーを振り返ってみました。たいへん不思議な映画です。でももちろんこのようなストーリーが全てではありません。というか、映画としてはそこは枝葉末節といってもいいぐらいです。というのも音楽も映像も素晴らしく美しいからです。セリフやストーリーからわき上がる疑念は、美しいインドの風景に溶けてゆき、美しい音楽がすべてを押し流してゆく。最初はあまり魅力的に見えなかったアンナが、旅を続けていくにつれ、だんだん魅力を増してゆくのもさすがです。言語表現レベルでは矛盾に充ち満ちたものでしかないメッセージを、ひとつの世界観の中で美しく提示するのが映画なのだ、と考えれば、やっぱり素晴らしい傑作だと言わざるを得ない。

不思議なこのストーリーにしても、ルルーシュ監督は徹底した男目線の監督であるにも関わらず、女の「わからなさ」を、自分の論理で無理に解釈したりせず、わからないままでそこに提示することができる。それだけとってもたいへん素晴らしい。つまり、そこには現実の混沌があるのです。

変。だけど美しい。
矛盾だらけ。だけどリアリティがある。
滑稽。だけど愛おしい。
そんなルルーシュ節をこの現代で楽しむことができて、わたしはたいへん幸せです。

このほかにも、常に「こども」をともなうような「結果につながる愛」を重視するルルーシュ監督の考える豊潤な愛の定義、入れ子になった映画「ジュリエットとロミオ」の寓意性、全編に見え隠れするマザコン性など、触れたいことはいくつもあるのですが、ひとまずこのへんで……。


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