うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

美は権力 『男と女』

[監督]クロード・ルルーシュ [脚本]クロード・ルルーシュ、ピエール・ユイッテルヘーベン [音楽]フランシス・レイ [出演]アヌ—ク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャンピエール・バルー、バレリー・ラグランジ
1966年・フランス 104分

こちらの映画の会でも語らせていただいた、個人的に思い入れのある映画『男と女』が、デジタルリマスター版で50年ぶりに劇場公開されるという夢のようなお話を聞いたのは昨年ことだったでしょうか。わくわくしながら公開3日目のシネ・リーブル神戸へ行って参りました。

 

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パリの街中をF1ドライバーが交通ルールを無視してひたすら爆走する映像だけの短編映画『ランデヴー』も同時上映ということで、こちらも楽しみではありませんか。交通ルールを無視しまくりの危険運転映像だけで構成された非常識な作品だけに、公開直後にお蔵入りになり、監督もこの件で逮捕されたというのですから、まあ、なんて素敵なんでしょ。さすが自分のフェチには一切の妥協を許さないルルーシュ監督だわ。

otokotoonna2016.com


劇場に入ると、7割ぐらいの入りかな? その半分ぐらいがかなりお年を召した女性、ということで、青春期にこの映画を観た方々なのでしょうね。その雰囲気だけで「おお〜!」と盛り上がりました。

というわけで、初めてスクリーンで見た『男と女』。やっぱりとっても面白かった。映像の美しさも堪能できるし。パリの街並み、ドーヴィルの海辺、雨のドライブ……。どれも素晴らしかったわあ。

そして集中して見たおかげで、男と女のディスコミュニケーションの妙についてじっくり考えをめぐらすこともできました。とても楽しい! 以下、ネタバレとともにお話を振り返ります。

                ★★★★★★

ストーリーは極めて単純です。寄宿舎付きの学校にそれぞれの子どもを通わせている女と男が出会い、惹かれ合う……というそれだけのもの。男も女も互いに配偶者と過去に死別しており、男はレーサー、女は映画関係の何かよく分からん仕事をしている超美人である。ある日、娘に会うために海辺の街・ドーヴィルを訪ねていた女は、帰りの列車に乗り遅れてしまい、男に送ってもらうことになる。これをきっかけに2人は距離を縮めてゆき……。

ふたりが会話を交わすのは主に男が運転する車の中です。説明的な会話はあまりありませんが、それぞれの事情については適宜回想シーンの映像が挿入され、それぞれがパートナーを失った経験があることが明かされます。男目線で進む映画につき、男についてのみ時折「心の声」もナレーションされます。しかし、男が女に惹かれる理由は「女がめちゃくちゃ美人だから」というだけ。そんな男を女は最初は警戒します。そりゃ、するよな。が、男の自信ありげなそぶり、スマートな立ち居振る舞い、頼れそうな感じに徐々にほだされ、なんと、自分から愛を告白してしまうのです! なんかしらん、ぽーっとなってもうたんやろな……という感じ。途中、男は過酷な山道を走るカーレース「モンテカルロラリー」なんかに出場したりするので、心配したり応援したりしているうちにアドレナリンが出ちゃったんでしょう。「あら私ったら、また彼のこと考えてる。恋かも……」なんてね。

告白された男は大喜びで、レース会場からすぐさま彼女に会いに行こうとします。「あんな美人に愛されてるっていわれちゃったぜ!」「会ったら第一声、なんていえばかっこいいかなー」「おっと、無精ひげ剃っとこ」「めっちゃ俺に会いたいって思ってるんやろなー、待ってろよ〜♡」みたいな、あからさまなうきうきわくわくっぷりに失笑を禁じ得ない。実はこの男にもつきあってる彼女がいるのですが、もう古い彼女なんてどーでもいい。葛藤も罪悪感もゼロです。

そんな最高の盛り上がりの中、ドーヴィルの美しい海岸でやっとこさ再会できたふたりは、感極まって砂浜で抱き合ってくるくる回ります。わあ〜楽しそうですね〜。で、子どもを寄宿舎に戻したら、待ちに待ってた大人の時間。さっそくホテルの部屋をとって熱い抱擁を交わす。が、女は男からの愛撫を受けながら、死んだ夫との思い出が脳裏に浮かんでくるのを止められません。子どもみたいに無邪気にころげあって遊んだこと、時を忘れて愛を語ったこと、同じチームで映画をつくったこと(女の元夫はスタントマンだったのです)……。どの思い出も美しすぎる。ああ、やはりあれこそ私の真実の愛の日々ではなかったか。そう思った女は目の前の男から体を離し、1人でパリに戻ると言い出すのです。

まあ〜〜、勝手な女! っていう感じですが、たぶんセックスもよくなかったのでしょう。こういう手前勝手な男はたいてい触り方が無骨です。女を触ることを車を運転するようなテクニカルなものと同じだと思っているのでしょう。違いますからね。

男の魅力を表現するシーンでは、彼の周囲にひたすら耳を聾するエンジン音が響いています。しかし、回想シーンの中の女の夫はもっとナチュラルで温かみにあふれています。エンジン音を響かせる車ではなく、たてがみが風になびく馬に乗っている。カーレースの喧噪ではなく、哀愁とおかしみの同居するサンバを愛している。そしてお気に入りの曲の歌詞を引いてこんなことを妻に言います。「悲しみのないサンバは、美しいだけの女と同じだ。僕はそんなものはいらない」と。つまりこの夫は、妻の美しさだけを愛していたわけではないのです。今の男はレースという自分の世界を持ちつつ、その人生をより豊かに輝かせるオプションとして女を愛してるが、元夫は、自分の世界観を構成する一部として女を愛していた。

夫への断ち切れぬ思いを言葉短く伝えて去る女。

死んだ夫が相手となれば、さすがのオレ様も反論しにくい。女の背中を見送りながら、男の胸にはさまざまな思いが去来します。といっても、その思いはとても浅い。「夫って結局変わり者の変な奴やんけ(ライバルサゲ↓)」「自分から好きってゆってきて、その態度ないんちゃうん(相手の非難↓)」「俺どこで失敗したん(ちょっとした自省→)」「いや、結構スマートやったと思うねんけど(自己肯定↑)」「どう考えても、めっちゃええ感じやったやん、部屋に入るまでは……(さらなる自己肯定↑)」「あんなええ女に釣り合う男、俺ぐらいしかおらんやろ(自信↑)」など、ひたすら自分の周りをぐるぐるぐるぐるしながら、結局自信を取り戻し、やっぱ迎えにいーこう! と、ポジティブに考え直してパリの駅に出向きます。

一方、ひとりになった女も列車の中で男のことを思い出しています。あの男は自分に惚れている。その行動は確かに誠実だった。いつも私を求め、私のペースを守り、必要に応じてリードしてくれた……なんて思ってたかどうかは知りませんが。まあ、なにがしかの心境の変化があり、結果、ラストシーンで駅に迎えにきた男を見つけ、固く抱き合ってエンドロールとなります。よかったね〜。

でも、こんなカップル、この先うまく行くとは思えないじゃないですか。絶対別れるやつですよね。男は徹頭徹尾、女の美しさしか見ていず、本当に好きなのは自分。結局、女を迎えに行ってうまくいくのも、モテ男ならではの経験則で「どれぐらい押せばうまくいくか」が体で分かっているがゆえの適正行動が取れているからにすぎない。

では、なぜ女は一時的とはいえそれを受け入れるのか。私には「権力の目覚め」に見えましたね。つい先日読んだばかりの中村うさぎの『死からの生還』。その中に書かれていた「美は権力である」という一節が頭に浮かんだまま離れません。

「美には無条件で人をひれ伏させる力がある」
「美は人間が平等であるという幻想すら木端微塵に蹴散らかす。美は権力であり、暴力でもあるのだ」

女が美しくなければ、ドーヴィルからパリへ送ってもらった、その片道で物語は終わったでしょう。「ご親切に」「どういたしまして」と。しかし女の尋常ならざる美は権力を発動し、自信家のモテ男をたやすく操る力になった。過酷なレース明けでくたくたのレーサーを、一夜にしてフランス国土を南から北へざっと2500kmもの距離を縦断させるんですからすごいもんですよ。これまで「美人」としてではなく「愛し愛される者」として生きてきた彼女が、自分が思い通りに操れるこの男が、今後の自分の人生のオプションにふさわしいと考えたとしてもおかしくはない。男の献身が美しい女の権力をめざめさせた、そんな物語に見えました。ほどなく女はこの男と別れ、さまざまな男で自分の権力を試すでしょう。
ダバダバダ、ダバダバダ……答えは風に吹かれている。と、無理矢理に旬のボブディランを持ち出して締めることにします。

 

                ★★★★★


しかし、一見整合性のとれていないこのラブストーリーを、会場の女性たちはどう見ていたのでしょうか。すごく興味があったんですが、うまく感想トークを拾う(=盗み聞きする)ことができませんでした。
映像は文句なくおしゃれで美しく、音楽も素晴らしい。もちろん、それだけでもたっぷり楽しめる映画です。

個人的に面白いなーと思ったのが、劇中で主演の2人に「俳優なんて仕事は簡単でしょう」「映画は監督のものだから」とか言わせているところ。あれ、なんなんやろ(笑)。


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