うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

深夜のひとりごと

自分の体を差し出すことで誰かが喜ぶならどうぞと差し出したい思いは常にあるのだけど、そういう受け身かつビッチな感性については、自分でいいとは全然思っていない。それにともなうトラウマもあって、だいたい自分のことは(人の利害が絡まない限り)なんでもあほみたいに人に話してしまう方だと思うのだけど、この劣等感に関するトラウマはちょっと人には話せないし、墓まで持っていく所存だ。私の行く末に墓があるのかどうかしらんけど。そのトラウマは、その体験そのものが傷になっているのでなく、「それを重く受け止めていない自分」に対する傷なのだ。トラウマのきっかけを作った他者に対して腹が立つとか許せないという思いがない、そういう自分のダメさやあほさに対する傷。

自分の中にある正義感を根拠にして人を断罪したり、強く何かを否定したり、他人の不埒な欲望を嫌悪したり……といった芯のあるビシバシした行動をとりたいという憧れがありながらも、自分にある不埒な欲望の存在を知っている以上、なにもかもを「そういうこともある」とぼんやりと(受け身に)肯定してしまう。

自分はとにかくどう転んでも受け身で、どこかからかやってくる刺激にただ反応し続けているにすぎない。他人に消費されるしか生きる道がないから、消費されることに対して怒れないし、それがなくなれば自分の存在価値もなくなる以上、私を消費しようと考える他者は私の命綱なのだ。みずから何かを求めることができればかっこいいのだけど、そういう性向は直せない。だからそれでもいいじゃない、と決して強くではなく、弱く、受け身に、そう考えている。

 

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