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うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

オンリーワンでもナンバーワンでもなく

お昼に、凡庸な炭水化物を食べたくて三宮駅の周辺で適当にイタリアンもどきみたいな店に入った。

なかなか便利な場所で、以前はそれなりにがんばったおしゃれなイタリアンが入っていたのだけれど、その店が撤退し、それからいくつか店は変わっているのだろう。初代の内装がそのまま残っているからベースは悪くないのに、壁に100均テイストのデコシール的なものを貼っていたりする、ちょっとお寒い貧乏感が漂う店内は正直センスはよくない。
ランチは1000円ぐらいで、パスタとかメインの組み合わせでいくつかバリエーションがあり、ドリンクはセルフサービスのフリーで、パンもご自由に、という簡易オペレーションスタイル。一つひとつに個性はないけど、まちなかのランチ需要にマッチしているということでランチタイムはそこそこ賑わっている。店のたたずまいからしてもメニュー構成からしても、ハナから本格的とか独創的とかを期待させるような店じゃないし、パスタは量が少なくて選択肢も少ないけど凡庸においしい。コーヒーもおかわりできるし、ハコが広いから、賑わうといってもぎゅうぎゅうに混雑するわけではなく空席が適度にあるおかげで、昼時でも気を遣わずパソコン作業だってできる。特色のない店だから何回転もしないし、並んだりもしないけど、そこそこいろんな客層で賑わっててうまくバランスがとれてる感じだ。

コーヒーをお代わりして原稿の続きを書きながら、ああ、結局こういう立ち位置が一番幸せなんじゃないかと思ったりする。大衆に寄り添い、ちょっとダサめで、だからこそ誰も拒まない。期待以上の働きはしないし、感動も与えないけど、不満も抱かせない。オンリーワンでもナンバーワンでもない安心感と安定感。

おいしくて安くて個性がある店はそりゃあ魅力的だし、そこでしか食べられないものを高い値段で食べさせてくれる店も素敵だ。しかし、キャパを超えた人気が出てしまったら、迷惑なほど客が並んで周辺の交通整理のためにガードマンを雇わないといけなくなるといった本質的ではない部分にコストかけなきゃいけなくなったりするし、金払った以上は自分が上に立って文句をいう権利があると信じるおかしな客にこっぴどく怒鳴られたり、嫉妬した同業者にいやがらせで悪い噂流されたり、初期を知ってる客に「あの店も売れて変わってしまった」なんて、変わらねばいけない事情を無視して勝手なノスタルジーで失望されたり……と意図せぬ悪意を受けがちではないか。既存の資源をうまく流用して、まん中ぐらいのポジションで自足してひっそり生きていれば、そんな面倒なリスクに巻き込まれなくて済みそうじゃない。

実際に、人でも店でも、そうして環境にカムフラージュするように静かに生きる存在は想像以上に多いのだろう。目立たないだけで。凡庸な広い平面がなければ鋭いエッジが鋭く存在できるはずもない。平面は平面として安定してそこにただ広がっていればいいんじゃないの。ついつい無理に突出したがるゲスな欲望を捨てれば、そこには振れ幅の少ない等価交換を淡々と楽しむ幸せがあるのではないのか。

でもそれに明快にyesとも思えず、でもなあ、でもなあ、と思考がぐるぐるするあたり、多分疲れてるだけだけど、あたし。

 

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