うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

宝塚歌劇という豪華絢爛な女子会

生まれて始めて宝塚大劇場宝塚歌劇を観に行った。
最高やった。

宝塚のなんたるかが全く分からないので、演目選ぶのもチケットとるのもすべて一緒に行ったおともだちにおまかせ。で、観たのは月組の「グランドホテル/カルーセル輪舞曲」で、新トップスターのお披露目公演だったのだけど、ひょっとしてこれ宝塚史上最高の舞台なんじゃないの!? と、他は1本も見たことないくせに、ようわからん親バカ状態で陶酔するあたしであった。

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いろんなパターンがあるみたいだけど、2本立て構成の場合が多いんですね。まずお芝居があって、幕間休憩をはさんで、後半はショーという。

私が見た回の前半の芝居は「グランドホテル」。1920年代のベルリンのホテルを舞台に、そこに去来する人々の一期一会の人間ドラマを描く群像劇で、もとは映画作品だと思うのだが、ブロードウェイでもミュージカルとして人気を博した演目だそう。

舞台の始まりはホテルの豪華なエントランスロビー。交換手たちが忙しく色々な客のメッセージに対応し、その間にも次々にやってくる豪奢な客たち。このあたりは映画のシーンをうまく舞台用に再構成したものっぽい。交換手、客たち、そしてホテルのフロントマン。たくさんの役者が贅沢に次々に登場し、歌い、踊る。セットの骨格をなす階段や柱などは見立てでロビーになったり客室になったりバーになったりと変幻自在で小物づかいも美しい。

とはいえ、冒頭、私はなかなか舞台に入り込めなかった。ミュージカルは好きだけど、日本語が必ずしもうまくメロディーに乗るわけでなく台詞が聞き取りにくいし、今回、予備知識ゼロでストーリーがどちらに展開するか全く分からなかったので、色んな部分から情報を読み取ろうとして疲れてしまい、挙げ句、何度かウトウトしてしまった。なにしろ宝塚は初めてで、好きになれるかどうか確信が持てないし、どこにフォーカスして楽しむべきか自分の態度も定まっていない。「ひょっとして私は楽しめないやつかもしれない」という疑念がぬぐえなかったせいもある。

はっきり「いい」と思うようになったのはお話が盛り上がって、余計な情報収集にエネルギーを費やす必要がなくなってから。宝塚なのだから当然というべきか、男役スターと娘役スターが活躍する恋物語が展開していくのだが、こうなればもう余計なことを考える必要はない。舞台にあふれる美しさだけを愛でればいいのである。そうなのだ。宝塚歌劇というのは、日常の些末事を何もかもわすれて、舞台上で疲れを知らない奇跡のように軽やかに踊ったり歌ったりするスターの輝くばかりのスターらしさを愛でる舞台なのである。

金なり愛憎なり虚栄なり老いなり性愛なり搾取なり格差なり、舞台上にはそれなりに人生と社会を折り込んだ複雑なお話が展開するのだが、きらびやかなスターの存在感のせいなのか、舞台演出のせいなのか、哲学的・内省的に振れそうになる一歩手前で観客の感情をキラキラ方面にぐいぐい引っ張ってゆき、そこにとどまって深く考えさせない。完成度の高い舞台を緻密に築いたその上に、キラキラした魔法の粉を味覚障害になる一歩手前まで大量に振りかけ、観客をただただ、トップスター珠城りょうの艶っぽい流し目や、娘役トップの愛希れいかの優美な指先にうっとりと見惚れさせるキラキラ過剰の目くらまし攻撃。こんな贅沢きわまりない陶酔システムがこの世にあったのか。私の知らないところにあったのか。宝塚にあったのか! あり続けたのか、100年間も!!

一部が終わると私は猛烈に感動していた。
しかし本当の宝塚歌劇の素晴らしさは、後半のショーに、宝塚歌劇ならではの群舞の波状攻撃たるレビューにこそあった。

いやはや本当に素晴らしかった。「カルーセル輪舞曲」。

きらきらした回転木馬のセットもメルヘンな舞台で、ピチピチしたお嬢さんたちが大量に踊る。きれいに脚を揃えて笑顔を絶やさず、すごい人数のダンサーが次々に舞台に舞い降りて、くるくるくる回って、脚をキレイに上げて踊ってくれることがこれほどまでに至福な体験とは本当に知らなかった、わたし。


かと思えば、宝塚名物の光輝く階段セットの上から、タキシード姿のイケメンたちが靴音高らかにザッザッと次から次へと降りてくる、それは尽きせぬ泉のようで、夢のように美しい彼らが、少女漫画に出てくる憧れの先輩のような感じでサッと客席を振り返り、順にニコッとしてくれる。テキーラ! もう、これが現実の光景とは信じられない夢の世界でしたよまじで。

舞台にいるのはそもそも常軌を逸した美しい人ばかりなのに、さらにそれを凌駕するスターが登場し、さらにその上をいくスターが、さらにその上のスターが……と次々に現れてくるんですからもう神経持ちませんよ。無尽蔵すぎる。わたしような初心者ですら「前の人をしのぐスターが出てきた!」となぜ分かるのかというと、宝塚にはスターが自分で後光を背負って出てくる「セルフ後光システム」があるからです。羽根。クジャクのような羽をスターは背負っている。後から登場する大物になればなるほど、羽根も大きく豪華になる。お辞儀をするとその羽根が優美に揺れる。後光が……後光が揺れている! ああ、もったいない! あんな後光を背負った人が頭を下げるんですよ。も、もうダメ!!


私は気づけば泣いていた。そして私が「もう十分元は取った!」と思ってからも、レビューは軽くその10倍ぐらい続いた。なにもかもが過剰で、私の貧困な想像力を超えていた。人数も。キラキラも。美しさも。美のインフレ。愛と幻想のシュミラークル!

終わればもう純粋な感動しか残らない。「ええものみせてもらった!」という放心と満足感。これがどれだけ価値のあるものかを考えると気が遠くなる。

どんなによくできた創造物を見たって、ああ思えばこうも思わなくてはならず、こっちを立てればあっちは立たず、言い訳しながらささやかな思いを個人的に握りしめ、なくならないように、見失わないように噛みしめて反芻するような窮屈な感動しかできないような世知辛いこの世界で、純粋な感動なんて、もうその辺じゃ普通に買えない希少品ですよ。それが宝塚にはある。あったのか。100年間も。

何がよかったって、すべてを女性が演じていることの意味がものすごく大きかった。芝居にはゲスいおっさんの役なんてのもあるんですけど、そのおっさんを演じるのも女性と思えば虚構性がいい方に作用して夢の世界にあってはならない生臭さが消えるんですよ。
主役の男爵と友情を育むしょぼくれた男性客の「オットー」を演じた美弥るりかさんもとても印象的だったのだが、これも女同士でやってるというのがよかったのだよな。珠城さんとBL感のある絡み(って書くとムダにやらしいけど、ダンスです、ダンス)シーンがあるんだけど、 それが最高やった。

またこれが将来のある若い娘さんばかりというのがね。彼女らはあんなにキラキラしているのに、ここが人生の頂点じゃないんですよ。この先がある。未来を嘱望するエネルギー。すべてが本番であると同時に人生のプレゼンテーションだという凄みがエネルギーとなって舞台からあふれ出ている。

しかし、オーケストラピットで奏でられるライブ演奏を背景にし、舞台上だけであれだけの大人数を費やした贅沢な舞台が、平日でも満員御礼でグッズ売上などもそれなりにあるとはいっても1人8000円程度のチケット代でペイできるとはとても思えない。インキュベーションとエンターテインメントの合体の仕方そのものに何か大きなマジックが隠されているのかもしれないけれど、私にはそれがよくわからない。とにかく値段以上の価値があることは間違いない。経済の論理からはみ出した過剰なエネルギーを生み出すシステムが何かしらここで稼働しているということの意味に打ち震えたよ。

何というか、この爽快感は、いい女子会の爽快感なんですよ。男社会にたまるアクや臭みを、ポジティブにはねのけるエネルギーに満ちたキラキラ。
かつて蜷川幸雄がどっかで、芝居っていうのは、何よりも市井の人、特に生活に疲れているような普通の人が、日常の合間に見て元気が出るようなものでなくてはならん、というような意味のことを書いていたのを読んだことがあるんだけど、宝塚歌劇ほどそれにふさわしい舞台はないんじゃないだろうか。

ここ宝塚もそうなのだけど、神戸と大阪を結ぶ阪神間にこういう特殊な文化が育ち根付いたことにはおそらく必然性がある。わたし、教養がなくて今はまだうまく書けないのだけど、明治維新でたまたま神戸が巨大な国際港となり、そのおかげで、ある文化が黎明し成長したまさにそのときに経済という追い風を強く受けた地域であるゆえなのだろう。阪神間は、経済とアートを奇妙に美しい形で結合させた、他地域に見られない奇妙な文化が育つ地なのである。

宝塚歌劇は単に人を寄せるだけの興行としてだけでなく、一線で活躍するプロを安定的に生み出すインキュベーションシステムである点にキモがあって、それがために日本中から若い才能が集まるし、ここが第2の故郷となるし、そのかけがえのない経験を持って外へ出てゆく人材を継続的に輩出しており、それがゆえに一線からローカルへとエネルギーを環流させる流れができている。

実は阪神間には似たようなシステムの男子版もある。それは日本一の進学校として知られる灘中だ。そりゃ東大にあんだけ卒業生を送り込んでいるから教育方法も素晴らしいのでしょうが、あの学校のキモは日本の中枢にOBを輩出しまくって経済の一線と学校を結ぶ情報環流システムが稼働していることにある。地元の商売人が出資し合って発祥した学校だが、今や完全に全国から優秀な頭脳を集める装置として完成しているってすごくない? 子どもを灘に進学させるために引っ越す親は珍しくないし、名古屋や広島あたりから新幹線通学してる子もいたりするわけで、強力な磁場を放ついわゆるひとつのパワースポットになっているのだ。選りすぐりの若き天才や変人が、人格形成にもっとも影響を受けるあれこれを神戸で経験し、各方面に散っていくことの意味は大きい。

あ、話がズレました。これはちょっと宝塚とも関連して考えてみたかったトピックなのでちょっとした覚え書き。


なんしか宝塚という強いパワースポットに触れた体験記でした。

阪神間に暮らすようになって20数年。やっと端的に人生を前向きに生きる気力を湧かせる素晴らしい宝塚歌劇のパワーに触れることができた。また必ず観に行きます。