うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

豪華絢爛な異次元ムービー『ツィゴイネルワイゼン』

監督:鈴木清順 出演:原田芳雄大谷直子藤田敏八大楠道代、真喜志きさ子、麿赤児樹木希林 脚本:田中陽造 1980年日本、144分

 

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元町映画館「追悼 鈴木清順監督 浪漫三部作」にて。
めちゃめちゃ面白かったわ!

絢爛たる清順美学! ……のなんたるかは、正直よくわからないのだけど、他人の悪夢に迷い込んだような、現実の論理が歪んだカットの連続が生み出す異次元感に心地よく酔えるのはもちろん、汚いものはちゃんと汚く、生臭いものはちゃんと生臭く、美しいものはちゃんと美しく、アホくさいことはちゃんとアホくさく……と、シーンごとにいちいちキメてくるところが律儀でグッとくる。

そういうところも含めて、割と全体的な観心地はコメディ、というところもいい。蟹とかね(笑)。

ま、それはともかく、俳優ですよ!
まずは怪優・原田芳雄。ワイルドすぎ! 士官学校のドイツ語教師という職を持つインテリでありつつ、抗いがたい野生の色気を持つ無頼漢、という役どころがもうほぼコメディなのですけど、普通にリアルに汚いのですよ、彼。臭そう。とあるシーンで「鬼」と呼ばわれていましたが、ほんとに鬼だよね。女を乱暴に扱ったり、女に割と無理矢理キスしたりするシーンがあるんだけど、あんな汚い人にそんなことされるのまじでむちゃくちゃイヤですよ! リアルに怖い。色男かどうか以前に怪異な恐ろしさがすごい。画面に出てくるたびに恐怖で震えた。あんな俳優、今いますかね。

背負い投げする原田芳雄、鰻を手づかみで食べる原田芳雄、下駄で線路を走る原田芳雄、ギャンブルで勝ちまくる原田芳雄、女を怒鳴りつける原田芳雄、かんしゃくを起こして家を出て行く原田芳雄、土に埋まる原田芳雄、子どもを脅かす原田芳雄、女をかつぐ原田芳雄、眼球をなめられる原田芳雄……。すべて恐ろしい。(いや、眼球をなめられる原田芳雄は、ちょっと我慢が足りず人間味が出てしまっているところが怖くない。可愛い)

そして、その同僚のドイツ研究者を演じる藤田敏八。わたしこの人全く知らなかったけど、この人の不思議な存在感もすごい。冒頭、旅先の原田芳雄のピンチを救うべく、この人が砂浜を駆けてくるシーンがあるのだけど、まだリアリティの側にとどまっているはずのこのシーンが既にして異様。肩幅がすごく広い堂々とした体軀は日本人離れしていて、三ツ揃えスーツをかなりきれいに着こなしているのだけど、その一方で、頭部は(額に貼り付けたような髪も含めて)のっぺりとした二次元感があり、ペラペラの紙細工のよう。どこかヨーロッパの風刺画を思わせるアンバランスな体が、砂に足をとられ、前後左右に揺れながら画面のこちら側にだんだんと近づいてくる……。このシーンだけでただならぬ悪夢感。まさに、悪夢に迷い込むために生まれた男に見えるんですよ。

ヒロイン、大谷直子もいいですねー。この方、正面からの顔は割と素朴なのだけど、横顔がとてもシャープで、横顔で苦悩する風情がとてもいい。貶められたり、崇められたり、利用されたり……という、男だけに都合のよいファムファタルという蟻地獄に、あがきながら、それはそれは美しく落ちていく。彼女は形式として1人2役なのですが、映画の観心地としては1役です。


この3人を軸に、物語は常に「男2人+女1人=3人」をひとつの単位として転がっていく。関係性が流転せざるを得ない「3人」のトライアングルが変奏、重奏されていく。男2人と芸者、男2人と片方の妻、主人と妻と来客、権力ある男2人と給仕、旅芸人の3人連れ……。人を変え、シチュエーションを変えながら、ころころころころころ……。物語としてはその転がりを愛でるに尽きる。というか、ストーリーとしての見どころは他に特にないですからね。しかし、それだけで十分飽きません。

登場人物すべてが口唇期か、というほど、常に何かを食べたり飲んだりしているのも不穏な効果を高めている。唇に刺激を感じること、腹に栄養を入れることは、不安な現実に抗うための直裁的な手段だ。その過度の頻出は、胸焼けするほど強い不安をあぶり出す。トウモロコシ、タバコ、酒、鰻、水蜜桃、すき焼き、こんにゃく、そば、通夜ぶるまい、寿司、ステーキ、紅茶、あるいは言葉だけで語られる「鱈の子」……。それらの食べ物のすべてが油絵具で描かれた静物画のように、微妙においしそうではない点にも不安が高まる。これはすべて現実ではないのではないか? 観念的な欲望にすぎないのではないか? もちろん、その一方で食が性のメタファーであることもまた疑いようがなく、それらは不足していたり、多すぎたり、うち捨てられたり、腐臭を放っていたりする。

そして最後には、生も性も幻想に過ぎなかったのではないか、ということが示唆されるのだが、この終わり方がまた、なんかコメディぽくて笑えるのよね。終わってしまえば、その過剰なワイルドさも、過剰な性欲も、過剰な色気も、過剰な不安も、盛りに盛った夢にすぎないのではないか。そうあればいいという理想に過ぎないのではないかと。これが「浪漫」とは、確かに言い得て妙だな、と。

館内に照明がつくと、私の隣の観客は下駄履きだった。
映画館の外に出ると、湿気混じりの風が強く吹き、雲が増えていた。

映画館に入る前に比べて、私の周囲の現実は確実に異化されていた。とても面白かった。

 

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--------- 6月22日追記  --------- 

この映画に現れるトライアングルの関係、見方を変えると、常に女をはさんでいなければ向き合えない男同士の愛を描いているようにも見えるな。

映画の中で骨と肉の話が何度も出てくるけど、結局骨に価値があるのは男だけで、女は肉なんだよな。死後に男2人が自分の骨を渡し合う約束をするところなんて、すごい「純愛」っぽい。

結局女は肉欲を満たす手段にすぎず、わかり合い、精神が高まる可能性があるのは男同士の関係だけ、と言ってるように見える。

実際、冒頭から、どの描写が、ってわけじゃないんだけど「女を当たり前のように道具と見做す」意識が通底しているなと思ったのだけど、男が所有物たる女をちょっとずつ交換しながら近づいていく、という物語と思うと、もうそうとしか見えない気がしてきた。

鰻をさばく樹木希林は肝を夫にいくら与えてもムダ、という挿話も、女は男の肉体をコントロールし得ないことのメタファーに見える。

 

 

 

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