うだうだと考える日記

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『海辺の生と死』(1)〜映画の枠を主演女優が一人で超えた奇跡の映画

監督・脚本 越川道夫、 原作 島尾ミホ島尾敏雄、脚本監修 梯久美子
出演 満島ひかり永山絢斗井之脇海、秦瀬生良、蘇喜世司
2017年日本155分

 


満島ひかり&永山絢斗共演『海辺の生と死』予告編


ダメな映画だけど、主演俳優の演技がほめるところしかない、ということはあり得るだろうか。たぶんイエス。しかし、ほめるところしかない主演俳優がいるという事実があれば、どんな欠陥があろうがその映画はいい映画といってもいいのではないだろうか、というのが私の考えであり、つまり、『海辺の生と死』はいい映画である、というのが私の結論だ。きっと淀川長治だって同意してくれるだろう。

まあもちろん、映画の価値というものが、映画表現の目標とするテーマをしっかりと持ち、そのテーマをいかに映画的な手法をもって描ききったかという点で評価されるものだとすれば、これはダメな映画と言わざるを得ない。2時間半もある長い映画なのに、結局何がいいたいかよくわからいばかりが、必要な状況説明さえないのだからねえ。

 

私はこの映画は、たまに参加させてもらっている「映画館でできるだけ映画を見ようと思っている人達の会@MIMOLETTE」の課題作になっていたから、という理由で見たもので、そもそも個人的に興味は持っていなかった。8月、あんまり重いテーマの暗い映画を観たくない気分であることもあって先延ばしにしていたら、先に見たメンバーからの「ダメ映画」評がちらほら聞こえてきて、ますます行きたくない気分が高まった。でも会には参加する予定だったからやっぱり一応見ておくか、と重い腰を上げ、上映館であるシネリーブル神戸に出向いたのである。

先日その会で実際に感想を語り合ったのだけれど、「退屈なので居眠りしたら、目覚めても同じシーンだった」「安直な表現に失笑した」「状況説明がなくシーンの意味が分からない」など、映画の欠陥を示す酷評がいろいろと出てきて、それがいちいちごもっとも。冗長で退屈であるにも関わらず、シーンの意味や背景の説明が全くないという、帯にもたすきにも長すぎるうえ、そもそも織が甘すぎて何も結べない紐のような映画であるという結論に誰も異議がないという。誰が見てもそう思うよね。でもその紐にものすごーく美しい柄が描かれているとしたらどうか。それはもちろん主演の満島ひかりである。すさまじいばかりの映画のダメぶりに誰もが同意するのに、同時に満島ひかりが素晴らしいということにも誰もが同意するという、ある意味で不世出の「奇跡の映画」なのだった。

太平洋戦争末期の昭和20年、奄美群島のある島に、特攻隊がやってくる。隊を率いるのは若き将校、朔中尉(永山絢斗)。彼はやがて島で小学校の代用教員を務める娘、大平トエ(満島ひかり)と惹かれ合う。『海辺の生と死』は、死と隣り合わせの日々の中で紡がれるラブストーリーである。このラブストーリーには現実の下敷きがある。自らの浮気と、それによって狂った妻との狂乱の日々。夫婦の確執と戦いを赤裸々に描いてベストセラーになった長い長い私小説『死の棘』で知られる島尾敏雄島尾ミホ夫妻の、そもそもの出会いに材をとった物語である。


まあ、退屈という評価はその通りなのだが、私自身は映画中に居眠りすることもなく画面をずーっと見続けることができた。映画的な工夫はいろいろとイケていないけれど、息苦しいまでに濃密な奄美の自然と、戦時中とは思えぬほどののんびりした島の暮らし、時折挟まれる奄美の歌や踊り、絶えず画面に響く低い潮騒の音やふくろうの声。それら画面に満ちる素材がとても美しいからだ。でもこれ、映画館だから見られるわけで、家でDVDを見ていたらとてもじゃないけど耐えられないだろう。しかし、だからこそ映画館で見る価値があるともいえるわけで、あまりストーリーを気にせずに大画面に映し出される風景を堪能するのが正解だろう。ことに画面に満島ひかりの体が映されている間は、もう髪1本すら見落とさない覚悟で刮目すべきである。満島ひかりの体には、奄美の濃厚な自然とタメを張れる力がある。強い。うたた寝している足の裏、崖をつかむ細い腕と手、スカート越しに浮かび上がる体のライン。すべてに主体性がある。男に「抱かれている」とう受動シーンですら、抱く男の姿より、抱かれる満島ひかりの体に主体性が宿るのだ。きつく腕をつかむ男の指の間からふくらむようにはみ出る汗ばんだ満島ひかりの肌。そのふくらみに宿る主体性。男は抱いているようで、ただ抱かれている。すべてが満島ひかりのための材料になっている。この点、意味のわからないこの映画においてさえ、何度思い返しても満島ひかりのトエは完璧にトエであり、同時に十分に島尾ミホでもあり、映画の枠や演出を越えているのが本当にすごいのだ。

(たぶん続く)