うだうだと考える日記

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『海辺の生と死』(2)〜生気あふれる女と自意識過剰男の恋

前記事『海辺の生と死』(1)映画の枠を主演女優が一人で超えた奇跡の映画 から続く

 

この映画を「恋愛映画」として見たときの大きな欠点が「ヒロインが恋する男に魅力がない」ということだろう。

演じた永山絢斗が悪いわけではなく、脚本と演出に難があるのだろうとは思うが、朔隊長が島の人にたいへん慕われている優しくて穏やかで人徳のあるイケメン将校、という設定には観客としてギリギリ納得したとしても、存在そのものがたいへん魅力的な大平トエが、わざわざ彼に惹かれる理由が全編を通じて全く伝わってこない。

むしろ、トエが朔隊長以外の男と一緒にいる場面でこそ、人物の魅力やエロティックな風情が思わせぶりに立ちのぼる。

たとえば、冒頭でトエと父の二人暮らしが描かれるシーンがそうだ。色彩豊かなトエの自宅の庭で、父(津嘉山正種)が庭を丹精している。その背後から、トエがまるで愛撫するように静かに父に抱きつく。本当に映画の冒頭なので、まだ人間関係が把握できていないこともあり、このシーンで私は割とギョッとした。これから近親相姦的な関係が展開するのかと身構えたのだ。しかし、どうやら単に仲の良い父子であることと、トエが無邪気であることの描写だったらしく、拍子抜けした。なんであんなにムダにエロいのか。

あるいは、朔中尉の忠実な部下、大坪(井之脇海)とトエのダイアログもそうだ。彼は朔とトエの文通を仲介する伝令のような役割を果たし、しばしば朔からの手紙を携えてトエの自宅や、トエの職場である尋常小学校に足を運ぶのだが、映画の終盤に至り、用もないのにトエを訪ねて「今日は手紙はありません」「顔が見たくなって来ました」といった趣旨の言葉を伝えるシーンがある。それに先立ち、縁側でうたた寝しているトエの頬をそっと触るシーンがあったうえに、この時の彼の表情にも含むところがあり、やがて特攻に出撃する運命と、自らの若さや健康さ、平穏な島の暮らしとのギャップに折り合いがつけられず煩悶している様子が見てとれるとあって、「すわ上司の恋人への横恋慕か」「まさかいきなり襲うのか」とまたもや身構えたが、結局何も起こらなかった。全く回収しない伏線を張り、本筋でないところでドキドキさせるのはなぜなのか。

それに引き替え、朔隊長の懊悩には深みがなく、セクシーさに欠ける。さらに行動も薄っぺらいので見ているこちらが恥ずかしい。
彼は、大卒のインテリであるという理由だけで、実戦経験のある有能な兵士をさしおいて隊長になったという自らの立場に罪悪感を持っている様子なのだが、そのジレンマを自室でストレートに独り言でぶちまける。浅い……。
「同期の桜」を唱和して同僚たちが盛り上がる宴席のシーンでは、まるで彼らと自分は違う人間だといわんばかりの態度でその場を離れ「私はこの歌だけは歌いたくない」などとトエにこれ見よがしに告白する。浅い……。
さらに、人目を忍ぶ逢瀬の場所に、非常識にも夜中の砂浜を指定して、恋人を危険な目に遭わせておきながら謝りもしない。浅い……というか、単純にひどいですね。

しかし観客を置き去りにしたまま二人の恋物語は進み、めちゃくちゃ魅力的なトエさんが、自意識過剰なインテリ将校を狂おしく慕うのだ。まるで説得力がない。ラブストーリーとして感情移入するのがとても難しい。

戦争映画として見ても深みに欠けると感じる表現は多い。
島に駐留している軍隊の全容はまったく分からないまま、劇中で隊長は私用のためにうろうろするばかりで、奄美という土地の特殊性と戦況との関係も見えない。島の暮らしも、戦時中にも関わらず、必要以上にのんびりと贅沢に暮らしているようにも見え、その背景にあるものが説明されることもない。そして、いったん出された出撃命令がどのような経緯を辿ったのかもよく分からないまま、戦争は終わる。観客はいきなりハシゴを外されて「え?」っと戸惑うばかりである。

しかし、しかしである。これは島尾敏雄とミホという実在のカップルの体験をもとにした物語であり、両者がともにこの時期の物語をさまざまなスタイルでフィクションに仕立ててもいる。映画が描けていない(あえて描いていない?)空白を埋める情報は世の中にあふれているのだ。わたしはエンドロールの最後に「脚本監修 梯久美子」という文字と、「狂うひと」という書名を確認し、シネリーブル神戸を後にすると、まっすぐ三宮センター街にあるジュンク堂書店本店に向かった。

わたしは大学時代に日本文学科なんぞというところを卒業して、あまつさえ近代日本文学のゼミにいたりしたのだけど、実は『死の棘』は未読で、というか、島尾敏雄の作品は全て未読で、それなのに割と強く島尾敏雄のことを嫌っていた。そもそも夫婦のいざこざを長々と小説に仕立てて話題になるなんてゲスいと思っていたし、読めば気分が悪くなることを約束されているようなゲスな小説をわざわざ読みたくないと思っていたのだ。
というわけで、実は映画の中で島尾敏雄をモデルとする朔隊長がつかみどころのない魅力の乏しい男に描かれていることについては妙な納得感があった。「そりゃそうでしょう」と。しかし、その一方で強く印象に残るのが、ミホをモデルとするトエが生気あふれる魅力的な女性すぎることである。これは満島ひかりマジックにすぎないのか、それとも、ミホという人物がそもそもたたえているパワーなのか。しかし、ミホがこれほど魅力的な女性であるとすれば、どういう理屈でこの男を慕うに至るのか、本当のところを知りたくもなる。そして、戦争が終わった後、島尾敏雄という男が、どのように妻となったミホに「毒」を出すに至るのか。その経緯も知りたくなるってものだろう。

そして手にしたのが、ドキュメンタリー作家梯久美子さんによる『狂うひとー「死の棘」の妻・島尾ミホ』である。

 

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2005年に取材をスタートし、2007年に島尾ミホが亡くなってからもゆかりの人物を丹念に追いかけ、膨大な作品と資料を読み解いてまとめた労作だ。単行本で650ページ以上もあってずっしり重く、持ち帰るのを躊躇するボリュームだが、最初の数ページを読んだだけで引き込まれ、買わずにいられなくなって購入。もう、むちゃくちゃ面白くて、久々に寝食に優先させて読みました。出合えてよかった!

で、結果としてこの本を読んだことで、映画の描写不足による違和感や疑問点はほとんど解消されため、脳内で映画の冗長なシーンひとつひとつに言葉や情報を補完しながら思い返してみるとあら不思議。とてもいい映画として脳内再生されるではないか(脳内映像は、コメントが流れまくってるニコニコ動画のイメージです)。

そして私はこの本を読むことで、島尾敏雄に長年抱いていた故なき嫌悪感を払拭して、むしろものすごく好きになった。彼が「ゲス」ではなかったからではない。想像を絶するレベルの本物の「ゲス」だったからである。(たぶん続く)

 

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ