うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

この世で最も酸っぱくて苦いレモンからつくったレモネード

TBSラジオの菊地成孔の粋な夜電波、朝4時からの深夜帯(早朝帯?)に移動して一発目をradikoのタイムシフトで聴いて、いつも菊地さんの語りはいいのだけど、「追悼会」と銘打った今回の語りの迫力は尋常ではなかったので、冒頭のもすごくよかったけど、個人的に、より個人的な菊地さんの追悼である、母をテーマにした中盤の語りに、なんといういうか、冷静な慟哭を聞いたので、おもわず書き起こしてしまった。「この世で最も苦いレモン」から滋養豊かなレモネードを作ることは、そしてそれを飲むことは、または周囲に振る舞うことは、それこそが人生ではないかと思う。苦さを残しつつ、苦さの奥の美味にも気づきつつ。

そういう感じ方は、もちろん私の傲慢でもあるけれど、でも、もう仕方ない。傲慢であることも、酷薄であることも。

 

 

===  以下、語りの書き起こし  ===

僕の母親は認知症パーキンソン病と老衰の合併で死んだ。
僕が誰か分からなくなってから8年。人間の言葉を話さなくなってから5年。まったく声も発さず、動きもしない、中型のは虫類のようになってから3年。つまりとてつもなくゆっくりと彼女は死んでいった。いつさよならをいったか、まだ言ってないのかは、だから、まだ分からないままだ。

彼女は口も目も大きく開けたまま亡くなっていた。介護士の人たちは洟をすすっていて、僕は、神さまが罪深い僕にくれた、この世でいちばん酸っぱくて苦いレモンをなんとかレモネードにして介護の人たちにふるまうことにした。

兄は事務手続きを済ませた。14も歳の離れた男兄弟で、どっちがマザコンか、という議論は時間の無駄に過ぎないだろう。でも僕は知っている。彼の方がはるかにダメージを受けている、ということを。そして、色々なことを思い出してしまう時、つまり耐えがたいほど辛い時がきたら、あのレモネードを一杯。「ほら」といって肩を叩く。

僕と兄は2人で、天に向けて祈りでも捧げているかのような格好をした母親の遺体を真ん中に置いた巨大な生け花作品を作った。小説家と音楽家にしてはそこそこのデキだったと思う。百合を、菊を、見たこともない花々を。

その遺影をデジタルカメラの中に入れて持ち歩いている、というと、たまに「よかったら見せてほしい」という人がいた。彼女たちは全員が女性だった。ある女性は瞳孔を開き「狂えるオフェーリアのようだ。美しさにいま動揺している、ごめんなさい」といって僕の右腕を強く掴んだ。ある女性は泣き出して「自分が死んだら誰が花を飾ってくれるのだろうか」と僕に訊いた。ある女性は、長い沈黙の後に優しく微笑んで「あなたお母様にそっくりだったのね」といった。

母は下の子である僕を可愛がらなかったが、たくさんのことを教えてくれた。戦争が起こったら、空爆があったら、どうやって逃げるか。体力ではかなわない相手とケンカをし、相手を制圧するには、まず何から言えばいいか。そして何より、もっとも凄い教育は音楽の授業だった。

まだ声が出せるころ、彼女は赤ん坊のように全身を使って声を限りに泣いた。そして体を震わせ、涙を流して泣きながら、それがモーフィングして、途切れることなく普通の民謡になるのだった。もちろん泣いてはいない。平然と、普通に民謡を歌っている状態になるのだ。歌っている間に泣き出した女性、なら、何百人見たかわからない。しかし、慟哭がいい調子の民謡に変わるのは、まるでVTRを逆転再生しているようだった。あの歌を録音しておかなかったことを、僕はいまだに悔やんでいる。ひょっとしたら、彼女が亡くなったこと以上に。

子守歌など一度も歌ったことがないくせに、彼女は歌の生まれ方の一種の極限値を僕に授けた。あのとき母親から得た歌に関する最も深遠な教えを、僕は一生忘れないだろう。厳密には、どれほど忘れたくなっても忘れることはできないのだ。僕はステージで歌をうたう。そのとき、母親のあの姿を忘れたことは一度もない。

家族がどうしても愛せない人へ。
あなたは恥ずべき人でも許されざる悪人でもなんでもない。この世で最も酸っぱくて苦いレモンから作ったレモネードは、栄養豊富な呪いであり、そのテーマは「生と死の逆転」であることに間違いない。


===  ありがとうございます  ===

 

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