うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

絶望の未来の女性像『ブレードランナー2049』

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ、脚本:ハンプトン・ファンチャーマイケル・グリーン
出演:ライアン・ゴズリングハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークスロビン・ライト、マッケンジー・デイヴィス、カーラ・ジュリレニー・ジェームズ、デイヴ・パウティスタ、ジャレッド・レト

 

www.bladerunner2049.j

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 ※微妙に偏ったネタバレあり。

 

なんとなく自分が観る映画じゃないなと思っていた「ブレードランナー2049」を、つい観てしまった。3時間もあるってことすら知らずに観たのだけど、映像が美しいのでさほど長く感じない。しかしその美しい映像で描かれているのは、過密と猥雑が極まった都市と、その周囲に広がる茫漠たる荒廃の郊外。地球はこんなありさまだけど、移住可能な他の星では豊かで人間的な生活が営まれている……(んだよね?)という設定なのだろうが、辛い。というわけで、映画館の外に出た時の世界の美しさが沁みる。世界は少なくとも、まだ、美しい。

映像以外にぐっとくるところもないわけではないのだけど、全体として映画が発するメッセージにはあまり乗れなくてどんよりする。二重にも三重にも否定され続けるKがなにしろ気の毒だし、女性の描かれ方もひっかかる。何しろ女は男を精神的にあるいは性的に、または職務として男を慰撫しサポートする存在であれ、とでもいうような、「未来的」にはほど遠い古くさい類型化が見られるのだ。もちろん、登場人物の多くが、人間が生み出したレプリカント(人造人間)であるという設定からして、彼らの存在が役割目的化するのは極めて自然なことともいえるが、全体として、役割目的化が、男性に関しては否定的に、女性に関しては肯定的に描かれているように見える点はどうか。性別による非対称を感じざるを得ない。

ライアン・ゴズリング演じるKは自身もレプリカント(人造人間)でありながら、人間の命令にそむいたレプリカントを追跡して殺害するのを主な職務とする警官だ。彼はどれほど残酷な職務に従事しようと、精神の均衡と感情の平坦性を失わない。彼は上司の理不尽な命令に心を殺して従う日本の社畜を戯画的に表現しているようにも見えて哀愁たっぷりだ。(ああ、独特の悲しみを湛えるライアン・ゴズリングのタレ目!)

ところが、レプリカントであるはずの彼は、ただ社畜としての自己の存在に満足するにはあまりに豊かな感情(ソウルといってもいい!)を持っており、だからこそ、プライベートでは精神的に慰撫してくれる存在を必要とする。というわけで、めちゃくちゃ美人の3Dホログラムと一緒に暮らしているのである。この、アナ・デ・アルマスが演じるバーチャル彼女(ジョイって名前!)は、夜な夜な「あなたは特別な存在よ」などと囁いて彼の自尊心を高めてくれるばかりか、彼女みずから現実の娼婦を部屋に呼び出して、それに自分の映像を重ねてご主人様に性的な満足まで与えるという……。あ〜。はいはい。美人で優しくてエッチな奥さんがいつも待っててくれたら幸せですわね、そりゃ。

一方、全宇宙の労働力を担うレプリカントの製造を一手に引き受けてウハウハの実業家、ウオレス社のウオレス社長は人間だが(人間だからなおさら、というべきか)、美しすぎるプロポーションを持つ超美人で戦闘能力の超高い秘書レプリカント(ラヴって名前!)を手下として使っている。彼女はKのように苦悩したりせず、ご主人様の命に従って、せっせとビジネスを回すわ、ものは盗むわ、邪魔な人間は殺すわの大活躍。しかしこのラヴ様が作中で一度涙を見せる。それは、ご主人様のウォレス社長が、生殖能力を持つレプリカントの開発に執念を見せる場面なのである。彼女の涙の理由は、子どもが産めない自らの不足を突きつけられることで自己存在が揺らいだ悲しみであるように見える。これって、まさに仕事バリバリやってるキャリアウーマンが「いくら稼いでも、結婚して子ども産まないと、女としてダメな気がするんだよね……」なんていってるみたいな感じじゃないすか。そんな彼女を癒してくれるビューネくんみたいなバーチャル彼氏はいないんですかね? いてもよくね? でもいないよね。いたらジョイ棒(名付けてみた)をあんなに憎々しげに踏みつぶさないよね。

ところでこの世界では人間の女はなにやってるんでしょうか? 生殖こそ人間にしかできない営みであることがすごく強調されていたので、楽園たる他の星でせっせと生殖にいそしんでいるのかもしれない。仕事してるのかな。仕事してるのはむしろ負け組なのかな。ユートピアっぽい他の星での暮らしは明らかにされていないけど、なんとなく嫌な予感がする。女性の人権が守られている気がしない。「産む機械」的な何かになってなきゃいいんだけど。

いや、地球にも人間の女がいましたよ。Kの上司のジョシ警部補! 冷酷ながら、優しさや弱さが垣間見える彼女は確かに人間らしい。しかし、その人間らしさを意志の力で押し潰したまま彼女は殉職してしまう。Kになにか特別な思いがあったのやもしれないけれども、それも今や闇のなか。もう1人の女性、ステリン博士は、神聖なるリーダーとしての資格がある由緒正しき巫女。俗世と縁を絶った女は聖女として特別扱いが許されるわけです。結局人間らしさって何なのさ。

Kは、バーチャル彼女に言われた「あなたは特別だ。なぜなら〝生まれてきた〟のだから」という趣旨の言葉をアイデンティティのよりどころにするも、その事実が否定されたとき、彼女がいまわのきわに放った「愛している」という言葉をもはや信じることはできない。ありふれたレプリカントとして、やがて死んでいくのだろう。

でも本当はいいのだ。生まれてなくてもいなくても。本当の愛などあってもなくても。純粋な役割にすぎないものから、愛や信頼や慈しみが生まれたら、それを「余分なもの」と切って捨てずに、役割を超えた存在として互いに尊重していきたい。映画なんだから、フィクションなんだから、本当は、そういう未来が見たいのだ。