うだうだと考える日記

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痛快なウーマンリブ映画 〜 『エル ELLE』(1)

監督:ポール・バーホーベン、脚本:デヴィッド・バーク、原作:フィリップ・ディジャン『Oh...』
製作:ミヒェル・メルクト、サイド・ベン・サイド
出演:イザベル・ユペールクリスチャン・ベルケルアンヌ・コンシニ、ロラン・ラフィット
2017年 130分、フランス ベルギー ドイツ

 

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いやー、「痛快」を映画にするとこうなるよね。

 

イザベル・ユペール演じる強いヒロイン、ミシェルが、モラルを蹴散らしながら女の自由を阻むものをひたすら殲滅していく。気持ちいい。ひたすら気持ちいい。

初見時、映画館に行く前にちょっとしたゴタゴタがあって冒頭部分を見逃したということもあり、後日再見した。初見時は意外性のある描写にびっくりしたり戸惑ったりしたせいで、ちょっと感想をまとめきれなかったのだけど、2回目で確信した。これは素晴らしいウーマンリブ映画であると。

勉強不足なので、こう言い切ることに躊躇があるのだけど、私にはずいぶん以前から「フェミニズムに疎外されている」という感覚があり、だからというべきか、なのにというべきか、ウーマンリブを自認している。もちろんフェミニズムウーマンリブは対立概念ではないが、運動や思想というよりは、ややこしい学問として進化を遂げたフェミニズムを理解した上でフェミニストを自称するのはハードルが高い。一方、自由と平等を叫ぶウーマンリブを自称するのに葛藤は不要だ。ウーマンリブとは自由と平等を求める運動であり思想だと私は理解しており、それはまさに、田中美津が2000年に東京大学で行った講演で次のように語った通りである。

 

易々と被害者になるのは、イヤなのです。相手のなすがままに被害者になるのは。それは相手が勝手に「私」に貼り付けた安い値段を許すということだから。たいていのことにはこだわらない私。でも、そのことには、こだわるわ。

私にとって平等とは、「誰でも世界で一番自分が大事」ということです。誰でも世界で自分が一番大事。私が大事なように、あの人も自分が一番大事なのだから、私を大切にするように、あの人も大切にしなきゃいけない。されなきゃいけない。

私にとってリブとは、自分以外の何者にもなりたくないという思いから出発して、それを邪魔するものに対して、なんとか力を合わせて変えていこう、それは女たちみんなの共通の問題だから、ということだったと思うのです。

従来の女性解放運動は権利の獲得や法の改正といった制度的な改革をめざすものでした。でもリブ運動は、自分以外の何者にもなりたくない「私」が、自分以外の何者にもならないですむ世の中を欲して、頑張った運動なのです。もちろんそのために必要なら制度的な改革も行う。しかしそれは他人のまなざし、価値観を生きてしまう「自分」から、自分を取り戻すということを追求しつつやっていくことであって、それ以上ではない。というのがリブの基本の考え方でした。

『かけがえのない、たいしたことのない私』インパクト出版会 所収

 

大事なのは、正しいか正しくないかではない。そう生きたいか生きたくないかだ。
わたしは自由になるためにはなによりも経済的な自立が必要だと考えているし、気持ちよく生きるためには容姿を整えることも重要だと考えている。そうすることが正しいからではなく、個人的な欲望だ。もちろん、それを重要と考えない人はそうしないだろうが、わたしはその選択を否定しない。だからこそ他人にわたしの選択を否定されると腹が立つ。腹が立てば抗議もする。基本的にはそのようにして生きてきたつもり。

しかし、だからといって「世間の正しさ」という呪縛からいつも自由にいられるかというと、これがなかなか難しい。ことに、世間的な正しさと自分の欲望が衝突してしまう場合には……。

というわけで『エル ELLE』ですよ。

ヒロインは、イザベル・ユペール演じるミシェル。ゲーム制作会社を経営するやり手の女社長である。離婚歴のある彼女は現在、閑静な住宅地の瀟洒な一軒家で一人暮らしをしているのだが、映画の冒頭、黒ずくめの覆面男に自宅に押し入られ、レイプ被害を受ける。彼女はなぜかこの事件を警察に届けようとせず、自力で犯人を捜し出そうとするが……。

映画はまるで犯人捜しのミステリのような顔で幕を開ける。しかし、この映画はまったくもってミステリではない。その証拠に、犯人は物語の中盤でさっさと明らかになり、物語はむしろそこからドライブがかかるのだ。主題は犯人捜しではなく、ひとつの犯罪を端緒に、ひとりの女が自分の欲望をどう肯定してゆくか、そのさまを描写することにある。「ELLE=彼女」というタイトル通り、ミシェルというひとりの女、それが映画の主題なのだ。前半では彼女の人物像が周囲の人間関係とともに輪郭を結び、後半では、それらを背景にした彼女の行動が思わぬ方向に転がっていく。

 

(たぶん続く)

 

かけがえのない、大したことのない私

かけがえのない、大したことのない私