うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはないはず。

書くほどもない戦争と父の記憶の断片

もう両親に会うのも正月や盆だけだし、帰省したときには、できるだけ昔の話を聞こうと思うのだが、だらだら食べたり飲んだりしてたら聞き忘れてしまう。
母とのなれそめ(笑)などは、古いアルバムをめくりながらこれまでもよく聞いたのだが、今回は戦争の記憶についてちょっと聞いてみた。

 

父は戦中、といっても昭和17(1942)年2月の生まれなので、終戦時点でわずか3歳半。奈良の山奥で暮らしていたこともあり、空襲などに遭うこともなく、戦争についての直接的な記憶はほぼないという。


唯一覚えているのは、おそらく昭和19年ごろに、広島のどこかのなにがし隊に入営していた父(わたしの祖父)に面会するために、母(わたしの祖母)におぶわれて西吉野村から広島に向かった雨の夜のことだそうだ。
父の生家から最寄りの下市口駅までは山道を10km強。始発に乗るために丑三つ時に家を出て、提灯を提げた親戚の男に先導を頼み、雨にぬかるむ真っ暗な山道を往ったのだという。幼児をおぶった女の足でいったいどれぐらい時間がかかったのか、その不安と、前方で揺れる光と、雨の冷たさだけを記憶していると。
その後、無事に広島に着いた後にどこかで船に乗ったことをかろうじて覚えているけれど、肝心の面会の記憶はなく、次の記憶は、終戦後に兵役を終えた祖父がお土産の金平糖をぶらさげて帰ってきたことだ。終戦の翌年には父の弟が生まれている。
この祖父については、わたしが小さいころに亡くなっているので、わたしは直接覚えていない。

もうひとつ、父の戦争にまつわる記憶は、終戦後にアメリカの飛行機が村の上空にやってきて、モールのようなものをばらまいたこと。木々の先っぽにキラキラ光るモールがひっかかって、クリスマスツリーのようになったそうだ。ビラなり物資なりも一緒に落とされたのかもしれないが、子どもだった父にその記憶はなく、その詳細はよくわからない。

 

書くほどもない、といえばその通りなんだけど、なにかわたしの心を揺さぶる話ではある。

というのも、このとき父をおぶった父の母(わたしの祖母)は89歳まで生きたのでわたしもよくよく知っているが、父との折り合いが非常に悪かった。孫のわたしから見ても祖母は意地悪で怠慢なひとで、よくあの祖母からこの父が生まれたなあと感心するぐらいなのだが(父はとてもまめで勤勉で親切なひとだ)、父は最後までこの祖母の面倒をよくみて送った。
直接的な愚痴を父の口から聞いたことはないが、言葉の端々に色々と複雑な思いがあったことは見て取れる。

あの祖母が、この父をおぶって、真夜中の山道を、ほかの子どもがまだ産まれていない頃、戦中に母ひとり子ひとりで、夫に会うために走ったのだなあと。不安に感じた父が、唯一のよすがとして祖母の背中にしがみついていたのだなあと。それが70年以上も経った今、記憶に残っているのだなあと。

 

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