うだうだと考える日記

読んだ本や観た映画、日々の雑事のあれこれ ネタバレはあったりなかったり。

コンテクストオブ新開地【2】燕楽

あたしらの 写真展、会期中はメンバーが二交代制で順番に会場に詰めて「受付当番」をするのだが、私の受付当番はとある平日の後半にあたる15時から19時まで。それに合わせて写真展を見にきてくれるという友人と、会場の近所で遅めの昼食をとることにした。事前に老舗洋食「グリル一平」に行こうと話していたのだが、残念ながら定休日だったので(調べて行けよw)、そのはす向かいの大衆中華「燕楽」へ向かう。

 

このお隣には、2018年にできたばかりのピカピカの上方落語の寄席「喜楽館」がある。わたしはまだ一度しか行ったことがないのだが、桂三度さん、桂あおばさんの二人会を夜席で見た(むっちゃ面白かった)、そのたった一度の機会に、帰りに燕楽で友達とごはんを食べてたら、そのお二人も食事にやってきて、お願いして一緒に写真を撮ってもらった思い出がある。

 

 

【2】記憶力のよい料理店 ── 燕楽

 

 この日ランチをご一緒したのは、酒場の実践型哲学者(とわたしは思う笑)とも呼ぶべきトシちゃん。本名は全然「トシ」じゃないのに、由来は敢えて説明しないが昔からトシちゃんと呼ばれていて、本名はあまり知られてない(笑)。彼は由緒正しき神戸ネイティブで、関西、特に阪神間における、ややヤカラ風味のキツい「社交界」における義理人情を身体的に深く理解しており、文脈盲、人間関係盲のわたしにいつも色々なことを教えてくれる。彼自身も飲食店を経営しているけれど、傍目にも金銭的な損得勘定を第一義に商売をやっているのではないのは明らかで、とはいえカネがやりとりされる場では、必ずやその裏で、感情や義理や呪いやしがらみがカネよりも盛大にやりとりされているのだ、という見える人にしか見えない事実を前提に、好悪、愛憎、上下、損得といったさまざまな関係性が網の目のように張り巡らされた中にようやく存在する隘路をわざわざ往くチャレンジャーなのである。すごいね。あははははは。

 

 いわゆる「酢豚定食」的なメニューもたくさんあるのだけど、やはりこんな昼下がりは瓶ビールとアテでしょ、ということで蒸し鶏とかピータンとか水餃子とかあれこれをお店のお姉さんに交互に告げる。お姉さん、伝票も持たずに隣のテーブルを拭きながらはーいと答えて、こともなく料理を順番に持ってくる。いいお店は記憶力がいいのである。瓶ビールがなくなるとトシちゃんが「紹興酒。1本」と頼むのでわたしはえっ、と驚くが、お姉さんは「ロック? 燗? 氷砂糖いる?」と必要なことだけを最小限の言葉でクールに訊く。いいお店は余計なことを言わないのである。燗がいいね。氷砂糖はなしで。

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小さいグラスには「HAKUSHIKA」のマークと文字。白鹿は灘五郷でも市境をまたいだ西宮の酒蔵である。そこに艶っぽい色の温かい紹興酒が注がれる。そして、寂しい大人はいかにして心の空白を埋めるか、についてののトシちゃんの持論を、紹興酒の瓶の空白を増やしながら聞く。トシちゃんは空中に指で十字を切って4象限マトリクスを示し、架空の2本の棒の4つの先端を順番に指で差しながら言い放つ。「結局、行き着くとこは、右か、左か、カルトか、ペットや!」。

 

神の啓示のようなセリフにわたしは爆笑してしまう。つまり、空白を抱えた人間は、政治的なイデオロギーか、カルトかペットに依存するというのだが、これは事象によらず、人に仮託される場合もあるよね。カルトみたいな人、ペットみたいな人に執着するという話はよく聞くじゃない。あははははは。

 

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入口の上部に謎の十字架が

 

入ったときは中途半端な時間ということもあり店内に2組しかいなかったが、店を出るころには7割方テーブルが埋まっていて、長居する客と吉牛的にササッと立ち去る1人客がいい具合に混在している。メシ、アテ、おやつ。どの用途にも広く使えるこのような店は、正午だけを突出したピークとせずに、波のように寄せては返すリズムで、営業時間中ずっと客がいい塩梅で訪れるのである。

 

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